2016年11月22日 (火)

呉昌碩 石人子室

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滴仙会 上級用 模刻課題

呉昌碩 石人子室

20mm×20mm

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致力 白文

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滴仙 初級用 課題 模刻

致力

24mm×24mm

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致力 朱文

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滴仙 初級用 課題 模刻

致力

24mm×24mm

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2016年10月21日 (金)

海客無心随白鷗

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NHK篆刻友の会 創作課題

海客無心随白鷗

海辺で遊ぶ男は無心であったから白鷗を従えたのだ。
(白鷗を従えるほどの無心の境地である)

24mm×24mm

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2016年10月20日 (木)

三餘 白文

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滴仙 初級用 課題 模刻

三餘

24mm×24mm

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2016年10月19日 (水)

呉昌碩 石尊

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滴仙会 上級用 模刻課題

呉昌碩 石尊

20mm×20mm

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2016年10月18日 (火)

三餘 朱文

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滴仙 初級用 課題 模刻

三餘

24mm×24mm

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2016年10月 6日 (木)

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた

"(神は)彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。"(創世記)

彼とはアブラハムのことです。アブラハムはユダヤ教にもキリスト教にもイスラム教にも重要な人物です。
アブラハムは神様と契約を結びました。この契約は神様だけが履行責任を負う特殊な契約です。そこには3つの条項があります。

・アブラハムの子孫は大いに増えて1つの国民となる。
・アブラハムと子孫には土地が与えられる。
・アブラハムと子孫は祝福される。

アブラハムに何の責任条項も無いことに重要な意味があります。
この契約を結んだ時にはアブラハムには子がいませんでした。待てど暮らせど産まれません。アブラハムもサラも年老い、子を作ることが絶望的になりました。そこで妻のサラは自分の女奴隷であるハガルによってアブラハムの子を得ました。子の名はイシュマエルです。神様からイシュマエルの子孫は大きな国民となる約束され、アラブ人の父祖となります。
その後、サラは閉経し子供を作ることが不可能になります。神様からの4度目の契約確認の際、アブラハムはイシュマエルを契約の子にと願いますが、サラから産まれる子が契約の子だと言われます。そしてサラからイサクが産まれます。神様の宣言通り契約の子はイサクです。イサクはユダヤ人の父祖となります。

神様は、この契約のために人が何かしらの努力をすることを望んでおられません。アブラハムとサラはイシュマエルを得ましたが、イシュマエルが契約の子とされることはありません。なぜなら、女奴隷から子を得てでも子孫のための準備をするという契約に無かった人が負うべき条項が発生したことになるからです。神様は全知全能な方です。初めの契約時に全てご存知なので契約条項に無いものは意味を持ちません。

これと同じことがイエス様の十字架の契約すなわち福音にも適用されています。イエス様は私たちの罪の贖いの代価となられて十字架にかかられ、お亡くなりになりました。墓に葬られました。そして三日後に復活されました。このことを信じる人は罪が赦され、アブラハム契約の共同相続人とされます。そればかりか罪の裁きを免れますので、天国に行くことになります。
"彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。"、神様が人に望んでおられることは一貫してこの通りです。神様は人に何の努力も求めておられません。一方的に与えようと望んでおられます。これを恵と言います。
どうかイエス様の福音を信じてください。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

2016年9月25日 (日)

武士道

武士道は新渡戸稲造が書いたのではなくて、新渡戸稲造が英訳して海外に紹介したと知りました。驚きです。極めると聖書が示す真理にたどり着くのかと感動しました。

"愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。"(コリント人への手紙第一 13章4-8)

"礼の最高の形態は、ほとんど愛に近づく。我々は敬意をもって云い得る。「礼は、長い苦難に耐え、親切にして、人を妬まず、自慢せず、思い上がらず、自身の利益を求めず、誰彼に動かされず、容易に挑発せず、悪事を企まない」。"(武士道)

<対比>
(武士道=聖書)
長い苦難に耐え=すべてをがまんし
親切=自分の利益を求めず
人を妬まず=人をねたみません
自慢せず=自慢せず
思い上がらず=高慢になりません
自身の利益を求めず=自分の利益を求めず
誰彼に動かされず=人のした悪を思わず
容易に挑発せず=礼儀に反することをせず
悪事を企まない=不正を喜ばずに真理を喜びます

礼が愛の部分的実践であることは、本当にその通りだと思います。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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2016年9月23日 (金)

彼のレプラはきよめられた

イエス様がレプラ(重い皮膚病)患者を癒された箇所です。私はイエス様が癒す前にレプラ患者に触れられたことに強い感銘を受けました。

"イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病(レプラ)はきよめられた。"(マタイの福音書)

注解書を読んでいてなるほどと思ったことを紹介します。
モーセの律法の祭司の規範を定義したレビ記にレプラ患者に対する規定が有ります。ですが旧約聖書にはその規定に該当するレプラがいやされた例が有りません。ミリアムはレプラからいやされていますが、それは、モーセの律法が完成する以前のことでした。ナアマン将軍もレプラからいやされていますが、彼は異邦人でした。まるでこの時のために規定が定義されていたかのようです。イエス様は続けて、"行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。"と仰います。
そのような背景があって律法学者はレプラ患者のいやしはメシア(キリスト)だけが行う奇蹟だと認識していたそうです。
ここでイエス様がレプラ患者を癒しました。皆がイエス様をメシアと認めないといけなかったのですが、そうなっていません。残念なことです。

良いと認めたら、しっかりと心に留めたいものです。イエス様を信じて、福音を受け入れてくださいますようお願いします。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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