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2016年9月22日 (木)

律法や預言の成就

私はキリストの福音を信じています。なので、価なしに神様からは聖い者とみなされています。そして天国に行く特権を持っています。ですが、実質は全く聖く有りません。
私は福音を伝える勤めを負っています。誰がこんな私の話を聞くのでしょう。

"わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。"(マタイの福音書)

聖句は山上の垂訓からです。山上の垂訓はイエス様が来られた当時のユダヤ人に蔓延していた聖書解釈の間違いを、神であるキリストとして正した説教です。
"律法や預言者"はユダヤ人にとっての聖書(旧約聖書)を示しています。別の箇所に"心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。"と"あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ"という二つの戒めに"律法や預言者"がかかっているとイエス様は仰っています。
聖くあるとは聖書を全うすることですから、上述の二つの愛を実践できるようになることを求められていることになります。無理です。
神様に正しいと認められたのも、唯々、恵みによるのであり、私は信じただけです。信じたことすら心を変えられたのですから本当に何もしていません。
聖句の意味は、イエス様が律法の要求を私たちの代わりに全うされたので、私たちは要求から解放されました。ここで神様から義と認められています。以降は聖霊の力によって律法の目指すもの、二つの愛を実現する力へと導かれていると言うことです。
感謝なことです。

全く実感のない私はどのくらい進捗したのだろうかと思います。
福音を信じて私に起こった変化を私は喜んでいます。特に価値観の変化は随分と生きることを楽にしてくれました。私同様に複音を信じてくださいますよう心からお勧めします。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

Posted from keppadictus

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