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2016年9月

2016年9月25日 (日)

武士道

武士道は新渡戸稲造が書いたのではなくて、新渡戸稲造が英訳して海外に紹介したと知りました。驚きです。極めると聖書が示す真理にたどり着くのかと感動しました。

"愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。"(コリント人への手紙第一 13章4-8)

"礼の最高の形態は、ほとんど愛に近づく。我々は敬意をもって云い得る。「礼は、長い苦難に耐え、親切にして、人を妬まず、自慢せず、思い上がらず、自身の利益を求めず、誰彼に動かされず、容易に挑発せず、悪事を企まない」。"(武士道)

<対比>
(武士道=聖書)
長い苦難に耐え=すべてをがまんし
親切=自分の利益を求めず
人を妬まず=人をねたみません
自慢せず=自慢せず
思い上がらず=高慢になりません
自身の利益を求めず=自分の利益を求めず
誰彼に動かされず=人のした悪を思わず
容易に挑発せず=礼儀に反することをせず
悪事を企まない=不正を喜ばずに真理を喜びます

礼が愛の部分的実践であることは、本当にその通りだと思います。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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2016年9月23日 (金)

彼のレプラはきよめられた

イエス様がレプラ(重い皮膚病)患者を癒された箇所です。私はイエス様が癒す前にレプラ患者に触れられたことに強い感銘を受けました。

"イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病(レプラ)はきよめられた。"(マタイの福音書)

注解書を読んでいてなるほどと思ったことを紹介します。
モーセの律法の祭司の規範を定義したレビ記にレプラ患者に対する規定が有ります。ですが旧約聖書にはその規定に該当するレプラがいやされた例が有りません。ミリアムはレプラからいやされていますが、それは、モーセの律法が完成する以前のことでした。ナアマン将軍もレプラからいやされていますが、彼は異邦人でした。まるでこの時のために規定が定義されていたかのようです。イエス様は続けて、"行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。"と仰います。
そのような背景があって律法学者はレプラ患者のいやしはメシア(キリスト)だけが行う奇蹟だと認識していたそうです。
ここでイエス様がレプラ患者を癒しました。皆がイエス様をメシアと認めないといけなかったのですが、そうなっていません。残念なことです。

良いと認めたら、しっかりと心に留めたいものです。イエス様を信じて、福音を受け入れてくださいますようお願いします。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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2016年9月22日 (木)

律法や預言の成就

私はキリストの福音を信じています。なので、価なしに神様からは聖い者とみなされています。そして天国に行く特権を持っています。ですが、実質は全く聖く有りません。
私は福音を伝える勤めを負っています。誰がこんな私の話を聞くのでしょう。

"わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。"(マタイの福音書)

聖句は山上の垂訓からです。山上の垂訓はイエス様が来られた当時のユダヤ人に蔓延していた聖書解釈の間違いを、神であるキリストとして正した説教です。
"律法や預言者"はユダヤ人にとっての聖書(旧約聖書)を示しています。別の箇所に"心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。"と"あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ"という二つの戒めに"律法や預言者"がかかっているとイエス様は仰っています。
聖くあるとは聖書を全うすることですから、上述の二つの愛を実践できるようになることを求められていることになります。無理です。
神様に正しいと認められたのも、唯々、恵みによるのであり、私は信じただけです。信じたことすら心を変えられたのですから本当に何もしていません。
聖句の意味は、イエス様が律法の要求を私たちの代わりに全うされたので、私たちは要求から解放されました。ここで神様から義と認められています。以降は聖霊の力によって律法の目指すもの、二つの愛を実現する力へと導かれていると言うことです。
感謝なことです。

全く実感のない私はどのくらい進捗したのだろうかと思います。
福音を信じて私に起こった変化を私は喜んでいます。特に価値観の変化は随分と生きることを楽にしてくれました。私同様に複音を信じてくださいますよう心からお勧めします。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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2016年9月20日 (火)

処女がみごもっている

クリスチャン向けの聖書箇所を読んでいたので、メールが滞っていました。
今日の箇所は処女降誕です。理解できない人が多い箇所だと思います。

"「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)"(マタイの福音書)

聖句は預言の引用です。背景は神様を信じない旧約時代の王に神様が「私にしるしを求めよ」と命令されましたが、王は拒みました。そして神様がユダヤの民全体に語られた言葉です。神様にしか考えつかない、できないしるしを起こす、が聖句の意味するところです。ですからこのしるしを見たなら神様が介入されていることを認めなさいという意味です。つまり理解できないのは当然なのです。
理解できないは生物学的にありえないという主張だと思います。それに対して私は種の起源をどう理解しているのだろうかと思います。進化論と言う仮説に基づくと、最初の生物は無生物から誕生したことになりますが、その原理をどのように理解しているのでしょうか。処女降誕より難易度が高いように思うのですが。創造論という仮説に基づくと、ちりから最初の人を作った神様が処女から人を誕生させることができないとなぜ考えるのだろうかと思います。

処女降誕に躓いて聖書を読まないより、読み飛ばしてイエス様の人柄を吟味する方が良いです。神様の我々に対する愛がわかります。また私たちは救済を必要としていて、救済は既に完成し、後は私たちが受け入れるだけだとわかります。これが福音です。
イエス様がわかれば処女降誕もわかります。ぜひ、聖書を通してイエス様にお会いになってください。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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2016年9月15日 (木)

いのちにはいりたいと思うなら

律法の時代はイエス様の十字架による贖いによって終わりました。今は恵みの時代です。幸いなことです。
これは神様に義と認められる方法が変わったと言っています。神様と永遠に天国で過ごす前提になります。神様と天国で過ごしたくない方には関係ありません。

"イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」"(マタイによる福音書)

青年がイエス様に質問しました。内容は「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」です。それに対する答えが上記の聖句です。続いてイエス様は十戒から具体的に戒めを示されます。
別のシーンでイエス様に近づいてきた子供たちに「天の御国はこのような者たちの国なのです。」と仰っています。子供たちは戒めを教えられるでしょうが、それを厳格に守る生活をしません。
永遠のいのちを得て天国で暮らす資格を得るのに二つの方法があることになります。一つは律法をいただき、全てを行うことによって自分の義を立てる方法です。もう一つはイエス様を信じて仰ぎ、そのままの自分を義としていただく方法です。後者は神様の愛による無償の恵みによります。

イエス様が示された具体的な戒めは殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよでした。全てを行えますか? もし行えないのであればイエス様への信仰によって、永遠のいのちを得て天国で暮らす資格を得ましょう。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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2016年9月13日 (火)

仙人有待乗黄鶴

Photo

NHK篆刻友の会 創作課題

仙人有待乗黄鶴

仙人は自分で飛べないから黄鶴に乗るのだ。

24mm×24mm

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2016年9月11日 (日)

呉昌碩 園丁

Photo

滴仙会 上級用 模刻課題

呉昌碩 園丁

24mm×24mm

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2016年9月 5日 (月)

借金を全部返すまで

罪の価を今の物価で計算してみました。1秒あたりにどれだけの罪を積み上げているのかです。人生100年として、なんと1秒あたり約1,000円です。これは生まれてから死ぬまで、寝ている時間も含みます。

"清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。"(マタイによる福音書)

1万タラント(Wikipediaによると1タラントは人の重さの金)の負債を返済できず、王(主人)からあわれみによって赦していただいた僕が、100デナリ(Wikipediaによると1デナリは単純労働者や兵卒の日給)の貸しのある者を赦さなかった話です。
実際に金額を計算してみます。金相場を4,800円/g、体重を70kgとすると、1万タラントは約3兆3千万円、100デナリは約80万円になるのでしょうか、金額の差が大きすぎます。
この例えは、神様がポンと全額赦してくれるのだから、あなたがたも赦し合うべきではないかと言っています。
神様に対する人間の負債は罪です。我々の日常生活の感覚とは桁違いの負債だと覚えておきたいものです。こんなに罪を犯すはず無いと思われるでしょうが、神様を愛さない、他人を愛さない思いや行動は全て罪です。
全人類の抱えている神様に対する負債の総額をイエス様はご自身の命で支払われました。十字架上でイエス様は苦しみ、完済したとおっしゃられました。
聖句の通り借金を全部返すまで監獄からは出れませんから、イエス様の三日後の復活によって私たちの罪が全て赦されていることがわかります。

残っているのは、このイエス様の救済を私たちが信じ受け入れるかどうかです。
この喜ばしい伝えを福音と言います。福音は今日まで語り継がれています。そして今、私が愛するみなさんにお伝えしています。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

Posted from keppadictus

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