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2016年8月16日 (火)

迷った一匹

失った時の悲しみは皆んな同じだと思います。揃っているべきものが欠けている。必要な時に無い。こんな時は腹立たしさや悔しさが溢れてきます。
この悲しみは私の思いに対する悲しみです。羊のことを思いやっているわけではありません。私は揃っていないのなら全部捨ててしまえと平気で考えます。

"あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。"(マタイによる福音書)

九十九匹を山に残すと、無防備なまま狼に襲われるかもしれません。しかし羊の所有者は迷った一匹を心配する思いでいっぱいになります。襲われていないか、不安で悲しんでいないだろうかと。そして、迷った一匹を捜しに出かけます。案ずる思いが勝つわけです。
羊の所有者はイエス様です。イエス様は迷った一匹の羊が心配で、気がかりでたまらないのです。イエス様は自分に属する羊が一匹もかけることが許せな方なのです。
そして私たちは皆んな迷い出た羊です。イエス様は一匹一匹、探し出して群れに戻します。こんな方が私の主であられることを幸いに思います。

イエス様はあなたを探しておられます。迷った羊は鳴き声で自分を知らせます。私たちの場合は祈りによって自分を知らせれば良いのです。イエス様はあなたを愛しておられます。一刻も早くイエス様とお会いになってください。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

Posted from keppadictus

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