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2016年8月 3日 (水)

五つのパンと二匹の魚

聖書の奇跡は、そこで天地万物の創造と同じことが起こっていると聞いたことがあります。その通りだと思います。ですが私にはある奇跡に対して違った疑問があります。

"そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。"(マタイの福音書)

五千人の給食です。イエス様は五つのパンと二匹の魚で男だけで五千人を満腹させました。なおかつ、最初より多く余っています。
私は奇跡は天地万物を創造された神様の技なので特に不思議には感じません。この記述を読んでいて疑問に思うのは、なぜ誰もパンが増える様子を書かないのだろうです。ちなみにこの記事はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四人が書いています。誰も書いていません。
パンが増える様子は、私には一番の関心事だと思うのですが。例えば長いパンをちぎると反対側が伸びたとか、イエス様はカゴの中から、ちぎったパンを出されたので増える様子は分からなかったとかです。手品師はタネを駆使してトリックを作り出すところを見せません。こんな風にパンが増える様子が隠されています。この奇跡は目に見える変化が最大の関心事のなはずです。
もうみんな奇跡を当たり前のように目の当たりにしていて、その様子に驚くこともなかったのでしょうか。ユダヤ民族にとって来るべき王はこのぐらいできて当たり前なのでしょうか。そんなバカなと私には思えます。男だけで五千人もいたんですから。
私は神様のされることは完璧なので、それが起こっても、誰も気付かないのかと考えました。山に向かって、『動いて、海に入れ』と祈ると実際に山は動いているのですが、全てが調和しているので見ている人間には、以前から変わらないように見えるのだろうかと考えました。パンもそんな風に増える様子は調和の中に隠されていて気付かなかったのかもしれません。
新約聖書が完成している今は奇跡は起こらないですが、祈りの答えはこのように全て気付かないうちに実現しているのだと考えています。聖書の通りに神様を信じる信仰が義とされるという意味です。信仰の領域は隠されています。

結局、パンがどのように増えたのか、なぜ聖書に記載されていないのかわかりません。天に帰って全てが明らかにされるのを楽しみにしています。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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