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2016年8月12日 (金)

姦淫を犯す者

"律法の目的は、私たちが愛の人になること"
これは今読んでいる聖書注解書からの引用です。素晴らしい言葉だと思います。このように注解される律法は旧約聖書だけです。他の律法や戒律は自治と、責任の境界を便宜的に定めるために作られていると思うのです。目的のハッキリしない訓戒もあるようですが。
愛の人にはなれないかもしれません。愛の人になりたいと思うか思わないかが、天国に行きたいか行きたくないかと一致しているのが、旧約聖書の律法の原理だと思います。なぜなら神は愛だからです。

"だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。"(ルカの福音書)

"人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ、"と旧約聖書の戒律にあります。これを理由に夫は様々な理由で妻を去らせていたようです。
しかし、同じ律法は"それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。"とも書いています。イエス様は「本来は一体だが、あなた方が頑なだからモーセは離婚を許したのだ。」と教えられます。
"遊女と交われば、一つからだになる"とパウロは説明しました。
夫婦一体、離婚、遊女と一体、律法は強制しません。現実は自由意志で選べない結果もあります。

アダムの助け手としてエバが作られました。エバが作られた時、アダムは昏睡状態だったので、気がついたらエバがいました。アダムは"これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。"と表現します。まさに一体だなと感じます。アダムが喜んでいる様子は書かれていませんが、神様が与えてくださったのだから、エバは最良の伴侶なのです。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

Posted from keppadictus

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