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2016年7月 4日 (月)

イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました

ヘブル人への手紙から引用します。難しいです。だからいつもの論旨に適用することしかできません。私はそれで良いと思っています。

"イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。"(ヘブル人への手紙)

重要なので何度も書いていますが、イエス様は罪人である私たちのために、贖いの代価となられて、十字架で苦しみ、死に、そして三日後によみがえられました。そのおかげで私たちは神様の恵によって栄光に迎え入れられることができるようになりました。
後半、その理由が難しい表現で書かれています。イエス様は我々の存在目的であり存在の原因であること。それ故に十字架の苦難はイエス様にとってふさわしい事だったと伝えています。存在目的であり存在の原因、この部分は神様の視点ですから、想像することはできても知ることはできません。私は愛なる方が私たちに愛の対象と言う存在目的と存在の原因を付与されたと理解しています。愛は相手の自由意思があって成り立つので、愛を育む過程が必要なのだと想像します。この過程の始まりは無垢の状態から神様への反逆でした。そして十字架の犠牲があり、婚姻、永遠の愛に至ります。幸いなことです。

イエス様の愛を信じてください。私たちのために十字架でイエス様は命を投げ出されました。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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