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2016年6月11日 (土)

わたしがあなたがたを愛したよう

私には愛に関する課題が多いです。解決したいです。大きな声でこれを言える様になったのは進歩だと思っています。

"あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。"(ヨハネによる福音書)

これはイエス様が十字架刑の前日に語られた言葉です。新しい戒めですから残念ながら我々にはイエス様の愛は無いことを示唆しています。
この言葉の前にイエス様は弟子たちの足を洗われました。師が弟子の足を洗われたのです。神様が人間の足を洗われたのです。
感情的に愛を示めすことは多くあると思います。ですが感情の移ろいによって愛は冷め行動は変わります。感情によらない愛もあるでしょう。限定的であろうと、条件付きであろうと、何らかの不純さを持っていようと、意思と行動をもって示す愛は尊いものだと思います。
聖句には"わたしがあなたがたを愛したように"とあります。聖書に見るイエス様の愛はあたえること、仕えることに徹底しています。イエス様は十字架で命を捧げるに至るまで愛を貫かれました。

私は愛することができません。心の何かが邪魔をしているのがわかります。それが何なのかわからないのか、何かを受け入れないのか、とにかく前に進めないことが惨めでなりません。しかし聖句は戒めですからできることが前提になっているとわかります。つまり希望があります。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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