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2016年6月14日 (火)

神のみこころに添った悲しみ

神様が、心に劇的な変化を生じさせて、新たな自我が生まれる体験をさせることを回心と言うそうです。回心は今までのことを反省し、自分で心を改め正す改心とは違います。

"神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。"(コリント人への手紙)

いろいろな悲しみがあります。敗北、傷付き、孤独、後悔、失望、痛みなどでしょうか。いずれの場合でも、その悲しみに意味や価値が無ければ、絶望してしまいます。
ですから悲しみにあった時には、逆転劇や教訓を得る事に多くのことを考えます。絶望は死をもたらすので、意味が欲しいのです。
実際は自分を変えることで、ほとんどの場合は解決します。ですが自分を変えることは、過去の否定になるので難しい様です。結果、勇気を奮うほどの意味を見出せないか、自分に言い訳をし、心にしこりを残します。
聖書は想像を超える良い結果に至る希望を与えてくれます。ですから悲しんでいても今の自分を受け入れることができます。
問題は罪です。罪からくる悪癖は悔いることはあっても改めることは困難です。悔い改めは継続的な努力を要するからです。悔いる悲しみと、それでも望む思いを祈りとして神様に捧げて良いと思います。神様が許されるのであれば続ければ良いし、回心が起こればそこで終わります。
悲しみにあっても自己を変えられる救済が生じるのなら、それは回心ですから喜びに至ります。神様のみこころに沿った悲しみです。

私は何度も回心を経験しています。クリスチャンになったこと、酒をやめたこと、良い交わりに加わるようになったこと、などなど。
悔い改めることができない悩みを捨てようと思います。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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