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2016年5月 1日 (日)

できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください

私が酒を飲んでいた時のことです。朝意識が戻り、頭痛薬を飲んで考えることができる様になるとシャワーを浴びながら、昨晩のことを思い出していました。セクハラはしなかったか、破壊はしなかったか、暴力は、、。そして、もうこんな思いをするのは嫌だと。でも体調が戻る夕刻には飲みたくてたまらなくなりました。実際は飲みたいのではなくて酔いたかったんです。意識がゆったりと沈みながら現実が歪んでいくのを楽しんでいました。そして気がついたら朝です。
快楽と後悔を繰り返すだけの日々を当たり前のように送っていました。これが地獄の痛みの型だと思っています。快楽に惹かれて地獄に行くのでしょう。

"それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」"(マタイによる福音書)

ゲッセマネの祈りです。十字架刑の前日にイエス様が祈られた言葉です。もちろん杯は十字架刑です。イエス様が十字架刑をいかに怖れておられたかがわかります。神様なのだから痛くない様にすればいいのではと思ったこともあります。
イエス様の怖れられたのは十字架刑の痛みと、神様との断絶すなわち地獄の痛みの二つです。
一つ目の痛みは人の味わう頂点の痛みなのでしょう。人の苦しみを自分自身の苦しみとして慰め励ますことのできるお方であることを表されました。
二つ目の痛みは私達の身代わりになって受けられた痛みです。人はここに行ってはいけない。破滅の苦しみです。自責、渇望、後悔、これら魂の渇きが痛みとなって苦しみます。イエス様は全人類分の苦しみを負われました。

"こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。"(マタイによる福音書)

この様に十字架刑を避けることができなかったことが書かれています。十字架刑で表されたのはあなたに対する神様の愛です。あなたのために死をも厭われませんでした。どうかこの愛に応えてイエス様を信じてください。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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