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2016年5月12日 (木)

わたしの心だ。きよくなれ

これは昔に聞いて「へー」っと心に留めていて、最近になって痛いほどよくわかる話です。


"さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。"(マルコによる福音書)

イエス様がらい病人に触れたとあります。感染るかも知れません。
初めて読んだ時は、イエス様には癒す力があるので自分で癒せば良いのではと思っていました。このことについて解説を聞きました。癒す前に触れたことがポイントなんだと教わりました。らい病になったことで他人との接触が絶たれていた人だから、そのままの状態で触れられることで慰めを得るのだと教わりました。私はあまりよくわかりませんでした。
今はよくわかります。私は人間関係で嫌なことがあると直ぐに切り捨ててきたので、その結果孤立してしまいました。寂しと思うこと、辛いと思うことはやはりあります。私が望むのは改善した自分と触れてくれる人間関係ではなく、本来の私との人間関係です。もちろん私の問題は改善すべきだと思っています。でも望んでなったのではない私自身も知って触れて欲しいのです。

聖句は種です。蒔かれて身を結びます。同じ様に心に蒔かれた聖句は時期が来れば身を結びます。どれだけの収穫を得るかは種を蒔いた土地の質によります。私も歳をとって耕され、肥えたのでしょうか。
心に蒔かれた聖句が喜びの身を結ぶことを切に願います。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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