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2016年4月30日 (土)

酸いぶどう

伝道集会でのメッセージ(抜粋)です。今日、聖書で読んだのは出エジプト記というところなのですが、クリスチャン生活の型が中心で信じておられない方にどう適用したらいいのかよくわかりません。

"その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』とは言わない。人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。"(エレミヤ書)

この聖句は旧約聖書の記述です。紀元前600年ぐらいの事が記されています。
彼ら、ユダヤ民族が言っているのはことわざの様です。父が子の、子が父の罪を引き継ぎ死ぬと言っています。それに対して、神様は罪人は自身の罪を負い死ぬのだとされました。

"イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。"(ヨハネによる福音書)

こちらの聖句は紀元後50年ぐらいのイエス様が十字架刑に処せられた時の記述です。
酸いぶどう酒を受けられたとありますが、先の聖句の"酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ"を受けています。では"人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ"はどうなったのでしょうか。イエス様の罪、決してそれはありません。"罪は犯されませんでした"と聖書に書いてあります。何度も書いてきましたが全人類の身代わりとなって罪を負われたのです。我々の罪のために死なれたのです。

私は十字架刑での酸いぶどう酒の意味がわからなかったので、このメッセージを聞いて聖書の奥深さに感動しました。メッセージのテーマは正義と愛でした。確かに正義のないところに愛は実現されませんね。
伝道集会に参加されませんか。正義と愛について新たな発見をすることは、声高らかに言っても恥じることがないくらい、素晴らしいことですよ。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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