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2016年4月26日 (火)

だれが人に口をつけたのか

私は精神を患っていて、自分のしていることが分からなくなることがあります。突然、自分のしたことの結果を突きつけられ真っ青になることがあります。その自分の行為は、普通の日常の営みの範疇だと思っているので、忘れてしまっています。恐ろしくてたまりません。

"主(神様)は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれがおしにしたり、耳しいにしたり、あるいは、目をあけたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主(神様)ではないか。さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」"(出エジプト記)

誰もが直面する憤りに「なぜ、私はこんな境遇なのか?」 があります。これに対して、日頃の行いのせい?、あの悪いことをした罰?前世での行い?神様の虐め? 等々を考えますよね。上の聖句の通りです。神様のせいにしてください。それが神様のご計画ですから。「神様、なぜですか?」と問いただしてください。
私は神様の弁護などできません。私はあなたに何も答えられないです。
クリスチャンはその集まりです。自分の体験談を他のクリスチャンの前に立って語ります。結構、積極的です。体験を分かち合いたいと思う情熱でいっぱいです。これを証しと言います。
その時の境遇、イエス様との出会い、神様が何をしてくれたのか、そしてどうなったのか、等々を語ります。
たくさんの証しを聞いてきましたが、内容は色々です。それぞれの方に固有の人生があるのがよくわかります。基本は逆転劇で本人の想像をはるかに超えた物語が展開しています。
上の聖句はヘブル民族がエジプトで虐げられ、約束の地に向けて脱出する話の導入部です。モーセという人がリーダーの使命を与えられて、「私は無理です」と答えたシーンです。以降どうなるかは聖書に書かれています。

あなたの人生も唯一のものとして設計されています。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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