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2016年4月24日 (日)

アルコール依存性からの回復

私はプロジェクトマネジャーをしていました。当時は天職だと思っていました。かなり仕事熱心だったと思います。
飲酒量はそもそも多かったのですが、ある時から酒を楽しむのではなく、酔ってその場を楽しむように飲み方が変わりました。この経緯は判りません。
私のプロジェクトから2名のうつ病患者が出ました。短期間で他社から取った開発案件だったので、かなり無理をしてプロジェクトを推進したことが背景にあります。そのプロジェクトが成功した時に、私が得たのは達成感はなく目的の喪失でした。それから突発的に無気力に襲われるようになり、私も神経内科を訪れました。抗鬱剤と精神安定剤を処方されるようになります。
最悪の事態を招いたのは、酒と薬の両方を同時に摂取したことです。その作り出す世界は心地よく、飲酒量は増える一方でした。ある頃から職場を出たら飲み屋に飛び込み、とにかく酔った状態に持って行き、潰れない覚めないを繰り返し、気を失って朝、頭痛薬と抗鬱剤を飲んで、シャワーで昨晩のことを思い出すを繰り返していました。セクハラをしなかったか、破壊をしなかったか、暴力を振るわなかったか、等々を思い返していました。怖かったのを覚えています。仕事がまともにできない恐怖が起こった時、私は逃げました。
この頃、小さかった三男が私を怖いと泣きました。私は遊んでやっているつもりだったので腹立たしさを覚えました。場違いな発言が多く、旅行先で酔っ払ってキャバクラ発言をし家内を泣かしました。
酒を減らそうとクリニックに伺い、「節酒はできません。断酒でしか回復できません。」と言われ、怒って帰りました。その一ヶ月後に敗北感と共に再診に伺いました。その日が断酒の始まりです。
離脱の苦しみの中で、神様に「もう私は十分苦しみました。取って(殺して)ください。」と祈りました。その答えは高校生の時に通った教会の記憶でした。次の日曜日に教会に伺うと高校生の頃、福音を語ってくださった、先輩のクリスチャンが昔のように迎えてくれました。「イエス様、あなたに依存させてくださいと祈れば良い」とアドバイスされました。帰るところがある喜びを感じました。
実はこの話の前、まだ酒を健常者のように飲んでた頃、単身赴任中です、パチンコに負け続けて大金を失いました。その時、「もう私に構わないでください。」と天を見上げて祈ったことがありました。この二つの祈りは呼応していると認識しています。
飲酒欲求は徐々に間隔が長くなって今はありません。治ったのではなく依存対象を置換しています。連日のメッセージ作成もそうです。頭痛薬にも依存しています。趣味、散財、その他、言えないことも含めて対象はたくさんあります。
私はイエス様に依存して問題を起こす依存対象を減らすのは素晴らしいことではないかと考えています。
最後に、依存対象を置換するために聖書と福音を利用することは可能です。私自身が証人です。聖書と福音が真実として実在するから依存対象にすることができるのです。

これが私の証です。

Image神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

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