« 2013年1月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月

2016年3月31日 (木)

多くの人を義とし、また彼らの不義を負う

Imageここからイエス様の受難の預言が始まります。

"多くの人が彼に驚いたように-彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである-"(イザヤ書‬)

そこなわれた顔立ちは十字架上のイエス様のそれと聞きます。イエス様は絵画に見る様な美しい人ではなかったのではないかとも思います。

新約聖書の福音書でイエス様にこれから預言される通りのことが起こります。

"だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主(神)の腕は、だれにあらわれたか。"(イザヤ書‬)

人々はイエス様の行なった数々の奇跡を見てローマを倒す王が登場したと考えていました。この方には神様がついておられる、旧約聖書に登場する勇者の一人だと考えていました。現実はムチで打たれ、十字架刑に処せられ、死んでしまう結果となりました。ですが、このことを通して神様は全人類とご自分との和解を実現されました。誰もそれを悟りませんでした。
今、現実に抱えている問題はいずれ過ぎ去ります。人間は永遠に生きます。神様との和解は永遠をかけた問題の解決です。
"まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。"(イザヤ書‬)

イエス様は神です。そしてこの世では人としておられました。イエス様は我々の痛み、苦しみ、悲しみを、創造者として、また人として知っておられました。ですから我々を慰め、癒すことができました。
新約聖書にはイエス様が病気や不具で苦しんだ記述は有りません。ですから十字架上の苦しみを表しています。イエス様が我々の受けるべき神様からの裁きを身代わりとして一身に引き受けられ、我々は贖われました。
"彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。"(イザヤ書‬)

イエス様はご自身の受けておられる苦しみによる救いによって、多くの人が神様との和解を得ることを見て、ご自身の苦しみに満足されました。
どうかこのことが事実であることを信じてください。イエス様は待っておられます。

2016年3月30日 (水)

わが義はくじけることがない

Image歳を重ねて余裕ができたのか義を纏うことは生きる喜びかなと思う様になりました。だから下記の聖句には励まされます。

"目をあげて天を見、また下なる地を見よ。天は煙のように消え、地は衣のようにふるび、その中に住む者は、ぶよのように死ぬ。しかし、わが救はとこしえにながらえ、わが義はくじけることがない。"(‭‭イザヤ書)

相手が過小見積もりしたなら、相手が損をしない様に受けたサービスの対価はきちんと支払う、みたいなことに拘りたいと思います。
私はイエス(名前)・キリスト(救い主の意味)の贖いによって、既に神様には義人と認められているのですが、実態が追い付こうとしている感じです。全てにおいてそうではないので偽善者と言われても仕方がないです。私自身はペースキーパーが付いているのだと思っています。

2016年3月29日 (火)

親愛なる友人たちへ

Image_2お伝えしたい事をまとめます。

下記が新約聖書の福音書です。
イエスは歴史上の人物です。
イエスはユダヤの指導者と対立し、当時の統治国であるローマに訴えられました。
イエスはユダに売られました。
イエスは十字架刑に処せられました。
イエスは十字架上で苦しまれ亡くなりました。
イエスは三日後に蘇りました。

下記はイエスとは誰かです。
イエスは聖人、偉人ではありません。それは聖書を読めばわかります。イエスの言動を人のそれとして読めば、イエスは気違いです。神のそれとして読めば、イエスは神が人格として来られた方と理解できます。
イエスは何の罪も犯していませんが、十字架刑に処せられました。物語としては無罪にすることで起こる暴動を避けるためです。ですが根底では神の人類救済がなされました。本来、罪を犯すと牛、羊などの犠牲(いけにえ)を捧げました。ですが人は神との関係の本質を見失ってしまったので犠牲すら無意味な物にしてしまいました。神は人格イエスとしてこの世に来られ、ご自身を全人類の罪の犠牲として捧げられました。それが十字架刑です。そして亡くなられ墓に葬られました。ですが3日後に蘇られました。全ての人の全ての贖いの代価を完済した事を意味します。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。(コリント人への第一の手紙)

ポイントです。
神は既に救いを完成しておられます。我々の態度が問われています。受け入れますか?無視しますか?必要なのは信じる力だけです。救いの必要性を認識するきっかけや経緯は人によって違います。

最後に、あなたと共に天国に行きたいから、私は語り続けます。

以上です。

2016年3月28日 (月)

再開

日記を再開しようかと思います。
日記なので過去は消しません。恥ずかしいですけど、敢えて。

« 2013年1月 | トップページ | 2016年4月 »