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2010年1月

2010年1月31日 (日)

これから始めるサスペンションセッティング



まずは勉強。

とりあえずタイラップを巻いてみるか。

2010年1月25日 (月)

確定申告

当然と言えば当然だけど還付。

八ちゃんを売却したので総合譲渡の内訳書が必要になったのだけど、書き方が全く分からない。国税ヘルプデスクも忙しいのか、説明がかなりやっつけだったりする。

まあ、終わり終わり。

2010年1月21日 (木)

Mirra chairが来た



玄関の巨大な箱にびっくり。
Img_0796

箱から出して座ると、幸せ者。

2010年1月19日 (火)

君もそこにいたのか

聖歌400番「君もそこにいたのか」が好きだ。曲の素晴らしさもさることながら、歌詞が良い。まさに福音書を読むこと、イエスを思い描くこと、そのものを歌っていると思う。

ルカによる福音書を読んだ。十字架の描写は23章33節から49節と僅かなのだけど、イエスの生涯は十字架につくためにあったとわかる。

わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである(ルカの福音書5章32節)

私の罪が釘を打ち込んだ。
私の罪が身を裂いた。
私の罪が神様との断絶をもたらした。
私の罪が死に至らしめた。

イエスは私の罪の負債を完済したのでよみがえられた。

わたしは言って置く、最後の一レプタまでも支払ってしまうまでは、決してそこから出て来ることはできない。(ルカの福音書12章59節)

聖歌400番「君もそこにいたのか」

君もそこにいたのか 主が十字架につくとき
ああ なんだかこころが ふるえる ふるえる ふるえる
君もそこにいたのか

君もきいていたのか くぎをうちこむおとを
ああ なんだかこころが ふるえる ふるえる ふるえる
君もきいていたのか

君もながめていたのか ちしおがながれるのを
ああ なんだかこころが ふるえる ふるえる ふるえる
君もながめていたのか

君もきがついたのか とつぜん日がかげるのを
ああ なんだかこころが ふるえる ふるえる ふるえる
君もきがついたのか

君も墓にいったのか 主をばほうむるために
ああ なんだかこころが ふるえる ふるえる ふるえる
君も墓にいったのか 

2010年1月18日 (月)

わけがわからん

休日の朝は、起きる、朝食をとる、アモキサンとデパスを飲む、布団に戻る、セーフスで超音波治療する、元気になる、することがなくて詰まらん。とこんな感じ。冬は嫌いだ。

ある朝、元気になる必要はないなと思った。どうせ一日することがないんだったら、一日中布団にもぐってても良いじゃないか。ゆっくり休めるし。
そこでアモキサンとデパスを止めたところ、案の定ぐったりとした状態で一日をすごすことになった。まあ布団で一日は最初の二日ほどで、その後は一日ソファーで過すになった。

のど仏が圧迫されるような違和感が出てきたので、レキソタンを飲んでみたら効いた。
脚の痛みや肩こりは相変わらずで、痛み止めの量が増えてる。ボルタレンとSG顆粒をガンガン飲む。

さて困ったことになった。骨折していない左大腿部が痛み始めた。最初は痛む右脚をかばって無理が出てるのかなと考えてたけど、どんどん痛みが酷くなる。ボルタレンを飲むと短期間だが効いたような感じがするが、また痛みだす。ロキソニンに変えても同じ。

左大腿部は痛む理由がわからない。明らかに脳の問題なのでアモキサンとデパスを止めたせいかと考えて、デパスを飲んでみた。そしたら効いた。つでに肩こりが取れて、よく眠れた。

こんなこともあるんだなと思って、朝、昼とデパスを再開したのだけど、昼過ぎには左大腿部が痛み始めた。ロキソニンを飲んでも効かない。飲んだ直後は痛みが取れるが、また痛みだす。

それでまたデパスを飲む。今は効いている。

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2010年1月15日 (金)

もろみポークを食す 其の5 ステーキ



クリームソースのステーキ。

もろみポークを食す 其の4 とんかつ



やっぱりこれかな。お腹いっぱい。

2010年1月13日 (水)

もろみポークを食す 其の3 生姜焼き

生姜焼きで肉の違いがわかるって言うのは、凄いと思う。

2010年1月12日 (火)

もろみポークを食す 其の2 蒸し豚



今回の蒸し豚はニラを入れた中華風。これもまた美味しい。
ポークビーンズの塩豚は年末に作って熟成させたものらしい。今回の豚肉を塩豚にするのはもったいないかな。

2010年1月11日 (月)

もろみポークを食す 其の1 蒸し豚

Photo_2

水炊きと同じ具材。蒸してポン酢で。
美味しいです。

マルコの福音書を読んだ

死と呼ばれる状態。わからない。
変な日本語なのだが、このわからなさをどう表現すればいいのか、これすらわからない。経験がないし、経験談も聞けないし、手掛かりがない。
全身麻酔の経験と似ているのだろうか。1、2、3、で意識が飛んで、起こされる。ハイ、おしまいみたいな感じか。
必ずその時が来るのだから、さっさと終わらせたいのだけど、それすら解決できない。なぜ解決できないのか、これもわからない。

また、彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。(マルコの福音書9章1節)

もしかしたら2,000年間生きている人がいたりするのかな、なんて思ったりもするけど、やっぱりイエスを信じた者の死は眠るってことなのだろうな。

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」。(マルコの福音書 12章27節)

イエスが私の代わりに死を経験されたので、私は死を経験しない。これは正しい解釈なのだろう。死なないとなると、命に関わる行為に関与できないわけだから、これが解決できない理由なのだろうかと思ったりする。

2010年1月10日 (日)

常勝ファームのもろみポーク



凄くおいしそうなお肉が大量に届く。
豚カツ、ステーキ、しゃぶしゃぶ、、、♫

2010年1月 9日 (土)

SPINNING TOE-HOLD No.2

これは珍しいと思う。

原曲を知っている人ってどれだけいるのだろうかと思うほどマイナーな曲。
”The Super Best”と言うLPレコードで発表されたのだが、このアルバムはCD化されていない。このLPレコードは持っていた。有名な”SPINNING TOE-HOLD”からの強烈なハイテクアレンジに衝撃を受けたのを覚えている。
最初の引っ越しの時に、これからはCDだろとレコードプレイヤーを捨て、このLPレコードを友達に差し上げたので、それっきり聴けずに寂しい思いをしていた。

ある時、CD” 極東ロック・レア・トラックス”に収録されているのを知るが、既に廃盤。Yahooオクで入手した。

Photo 極東ロック・レア・トラックス

もちろんオリジナルのCREATIONの演奏はあまりに古すぎるので、”SPINNING TOE-HOLD”とも見たことはない。原曲をあらためて聴いてみたがやっぱり凄い。

2010年1月 5日 (火)

マタイの福音書を読んだ。

罪のゆるしを得なくてはならないと思っている人はどれだけ居るのだろうか。

というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。(マタイの福音書21章32節)

取税人や遊女は自分の罪を見てヨハネのところに行った。神様と自分との関係を修復するために罪のゆるしを得ようとしている。このような人を今は見ない。

実を言うと私も神様から罪のゆるしを得なくてはならないと思い詰めたことは多分ない。良心の呵責と天国と地獄の噂だけが思いの中にあったが、罪の意識は誰かに怒られるとか非難されるとか対人関係の領域のことで、絶対的な義に対する責務なんて感じたことはなかった。

今も罪とは何かをよくわかっていない。「私は罪人です」の一言を受け入れ、とりあえずお咎めなしの身分になったことに安堵している。こんな感じだ。

天に帰った時の罪のない状態を想像できない。ただ今の状態で永遠を、いやこれ以上を過ごすのは嫌なので、嫌じゃない状態に変われると書かれている聖書の言葉に希望を置いている。
この嫌な状態の原因が罪なのだろうけど、その関係はやっぱり良くわからない。
考えてみれば、罪のない状態を経験したことがないのだから、どれだけ素晴らしいか、なぜ今が惨めなのか、これらがわからないいのも当然かと思う。

ではなぜ良い状態に変われると信じられるかと言うと、イエスが十字架で死なれたからだ。この十字架の死が自分の身代りだったのだと聖書を読めばよくわかる。私が罪のゆるしを得るためにイエスは自分の命を代価として払われた。罪についてよくわかっていないけれども、これはすごいことだとはわかる。ここに想像できないイエスの私への思いがあることがわかる。これが愛なのだと愛を持ち合わせていない私も知ることができる。無いからわからないのではなく、無いからこそ存在を表された時に認識できるのだと思う。
そしてこの世に存在を認められない愛を持つイエスは神様だと知ることができる。

私はこれしか知らないけれど、これで十分だと思う。

2010年1月 2日 (土)

NAPAPIJRI



近所のアウトレットが新春バーゲンで大混雑と言うニュースを昨日見て、「しまった」と。
それで今日行ったのだけど、やっぱり朝から混雑気味なわけで、目的のお店をざっと見て、パンツを2本購入。
最近お気に入りのお店だったりする。

2010年1月 1日 (金)

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」をそのまま信じることは間違ってないね。

家族が救われることそれは素晴らしいことで、この上ない喜びで、何もできないのだけど救われてほしいと思う。
単に地獄に落ちないでとかそんなことじゃなくて、自分の得た素晴らしいものをあなたも得てほしい、こんな感じかな。
だから「信じているよ」とかそんな告白を聞きたいのではなくて、幸せであって欲しい、思い煩いから解放されて欲しい、ただただそんな風に思う。

次の聖句に不思議な技が隠れているような気がする。

「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。(マタイの福音書9章24-25節)

単に娘が生き返ってほしいと信じた父の願いが叶ったって話じゃないと思えるのだけど。と言うのは、信じたのは少女ではなくて父なのに、その時点で少女は死んだのではなく眠っているだけとされていて、これが素晴らしい。

私は信じるよ。

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