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2009年1月15日 (木)

細君との関係に悩みたくないと思わないかい

創世記27章、詩篇32篇、マタイの福音書17章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

妻が夫の邪魔をする。

リベカはその子ヤコブにこう言った。「いま私は、父上が、あなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。
『獲物をとって来て、私においしい料理を作り、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、【主】の前でおまえを祝福したいのだ。』
それで今、わが子よ。私があなたに命じることを、よく聞きなさい。
さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎ二頭を私のところに取っておいで。私はそれで父上のお好きなおいしい料理を作りましょう。
あなたが父上のところに持って行けば、召し上がって、死なれる前にあなたを祝福してくださるでしょう。」

(創世記27章6-10節)

あまり存在感のないイサクだけに物語として感じることがある。この一連の件の大きな意味はヤコブの系図が選ばれていたことである。
とはいえ妻と息子が結託して意思を邪魔したイサクはたまらないだろうなと思う。まんまとイサクは騙される。私には赦せないことである。

母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」
(創世記27章13節)

リベカはのろいを受ける覚悟ではあったがイサクにとってはそんなことどうでもいいだろう。

同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
(ペテロの第一の手紙3章7節)

この聖句に通じると思う。”細君に悩まされるのは男子一生の恥”と何かで聞いたことがあるが、細君との阿吽の呼吸は喜ばしいことである。これはキリストと教会の関係にも当てはまると思う。クリスチャンである我々は救い主イエスの花嫁にふさわしく変えられていくものだろうと思う。

もちろん救い主イエスは”自分よりも弱い器”として我々を守られる。

幸いなことよ。
そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。
【主】が、咎をお認めにならない人、
その霊に欺きのない人は。

(詩篇32篇1-2節)

私は、自分の罪を、あなたに知らせ、
私の咎を隠しませんでした。
私は申しました。
「私のそむきの罪を【主】に告白しよう。」
すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
セラ

(詩篇32篇5節)

悪者には心の痛みが多い。
しかし、【主】に信頼する者には、
恵みが、その人を取り囲む。
正しい者たち。【主】にあって、喜び、楽しめ。
すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。

(詩篇32篇10-11節)

救い主イエスは神様に取り成してくださり、幸いな立場を守って下さる。

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