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2008年12月

2008年12月31日 (水)

天の下

ヨブ記41章、マラキ書3章、ヨハネの黙示録20-21章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

だれがわたしにささげたのか、
わたしが報いなければならないほどに。
天の下にあるものはみな、わたしのものだ。

(ヨブ記41章11節)

しかりその通りです。私はなすべきことをしているだけです。しかもあなたが導かれ、その道を祝福されました。ただあなたが私を愛されたのです。

そのとき、
【主】を恐れる者たちが、互いに語り合った。
【主】は耳を傾けて、これを聞かれた。
【主】を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、
主の前で、記憶の書がしるされた。
「彼らは、わたしのものとなる。
──万軍の【主】は仰せられる──
わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。
人が自分に仕える子をあわれむように、
わたしは彼らをあわれむ。
あなたがたは再び、正しい人と悪者、
神に仕える者と仕えない者との違いを
見るようになる。

(マラキ書3章16-18節)

人とはいったい何者なのでしょうか。あなたの宝になるとは。

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

(ヨハネの黙示録21章3-4節)

これはこれからくるものなのでしょうか。もうすでにあなたは私とともにおられます。
悲しむ時になぐさめがあり。叫ぶとき励ましがあり、苦しみの時それに打ち勝つ望みがあります。

2008年12月30日 (火)

メタルラック

Luminousのメタルラックシリーズでワークスペースを作っている。作っているとはどんどん拡張していくので終わらないの意である。Luminousを選んだのは最初に買ったのが偶然そうだっただけ。

このメタルラックに24inch液晶モニタをエルゴトロン LXデスクマウントLCDアームで設置するのだが、グロメットマウントで固定するとワイヤーがしなるしなるでやばいと思った。そこでググって見た結果Monitor/モニターアームでメタルラックのポールに固定している写真を発見。これだと思った。マウント用のポールにメタルラックのポールを通しているのはわかるのだが、上下からスレーブでサンドイッチする方法がわからなかった。

ワイヤーディスプレイ作成中にポールをジョイントしている時に閃いた。

ほーらImg_0161_0052 しっかりモニタが生えてる

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喜怒哀楽

2回めのクラクションを鳴らされた時にキレてしまい窓を開け怒鳴った。
どちらが悪いかでなく、感情の起伏が鬱陶しくてしこりが残った。

薬を飲んで落ち着く。

薬でコントロールできる感情に意味があるのか。

婚礼とウエディングドレスを纏った美しい花嫁

ヨブ記40章、マラキ書2章、ヨハネの黙示録18-19章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

私は神様から離れて好き放題に生活していた時、悪いことが起こるといつも神様を呪った。「なぜ私を苦しめるのか。私にかかわらないでくれ」と。

神様はお答えになる。

あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。
自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。

(ヨブ記40章8節)

神様は御心をなされる。悪いのは私だ。私の無知と思慮の無さが、自分を正しいと人に見せたいと思う浅はかさが、正義と真実を曲げる。いつもそうだ。

私の姪が近々結婚する。
結婚の誓いの言葉に「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。」というのがある。この言葉は聖書にはない。この誓いの言葉の由来は知らないが尊重すべきことをよく表していると思う。

救い主イエスは結婚について次のように教えておられる。

創造者は、初めから人を男と女に造って、 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。
(マタイの福音書19章5節)

結婚は救い主イエスと教会すなわち十字架の救いを信じた者たちの関係を表している。

ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。

(黙示録19章6-8節)

これがその婚礼の預言である。

私はこの婚礼の尊厳さ重んじていない。私の結婚への態度は救い主イエスの教会に対する愛とは程遠い。だから新しい夫婦に対する祝福の言葉は実に希薄であった。残念でならない。

花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された
クリスチャンが清いのではない聖徒たちの正しい行いの証を身にまとうのである。このウエディングドレスは主イエスの十字架の救いに他ならない。

2008年12月29日 (月)

駝鳥

ヨブ記39章、ゼカリヤ書14章、マラキ書1章、ヨハネの黙示録16-17章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

人は確かに創造物の頂点にいる。しかしそこには摂理もある。

野牛は喜んであなたに仕え、
あなたの飼葉おけのそばで夜を過ごすだろうか。
あなたはあぜみぞで野牛に手綱をかけることができるか。
それが、あなたに従って谷間を耕すだろうか。
その力が強いからといって、
あなたはそれに拠り頼むだろうか。
また、あなたの働きをこれに任せるだろうか。
あなたはそれがあなたの穀物を持ち帰り、
あなたの打ち場で、これを集めるとでも信じているのか。

(ヨブ記39章9-12節)

すべて神様のお考えに従っている。これは神様が被造物の自由を奪ったのではない。

だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、
その産みの苦しみがむだになることも気にしない。
神がこれに知恵を忘れさせ、
悟りをこれに授けなかったからだ。

(ヨブ記39章16-17節)

人も自分の分をわきまえなければならない。これは限界を嘆くことではない。人が最も幸せでいることができる術である。人は多くのことを知りたがるが、多く知ると辛いことも多くなる。

「わたしはあなたがたを愛している」と【主】は仰せられる。
あなたがたは言う。
「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。

マラキ書1章2節

救い主イエスが私たちの罪の贖いの代価として自らの命を差し出したほどにである。

「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。
もし、わたしが父であるなら、
どこに、わたしへの尊敬があるのか。
もし、わたしが主人であるなら、
どこに、わたしへの恐れがあるのか。

(マラキ書1章6節

本来であれば神様はこのように私たちに主張し、私たちを滅ぼしてよい。
だが神様はそうはされない。

2008年12月28日 (日)

PCとDACとヘッドホン

私はスピーカーで聴くオーディオを止めた。静かなリスニングルームを確保できない限り機器に凝っても意味がないと判断したからだ。以来イヤホン専門である。

これが私のお気に入りのイヤホンである。
Er4s Etymotic Research ER-4S

このイヤホンとipodを組み合わせた感想は以前書いた記事のとおりである。

iPhone導入にあたってThinkpad X61はアルバム単位でClassic、Jazzを、iPhoneはPopsを選曲してと使い分けるつもりだったが、Thinkpad X61とiPhoneを聴き比べるとiPhoneの方が音が良い。Thinkpad X61だと長く聞いていると嫌気がさすし疲れる。

そこでThinkpad X61にUSB DACを導入してみた。
Dendac DenDAC

音がクリアになる。細部まで聞こえる。これは良い。iPhoneと比べると低域の厚みを感じる。

雰囲気の再現性を試すために
Waltz_for_debbyWaltz for Debby
を聞いてみる。

客席に居る気分に浸れる。
Bassの音が十分になっているのに驚く。

Jazz、Popsは十分である。Classicは楽器の数が多いが、一つ一つの分離がいま一歩。特にフルオーケストラはこじんまりとしてごちゃっと聴こえる。
昔オーディオ専門店で一度聴いて感動したTANNOY  Westminster Royalの印象”音が見えるようだった”が強すぎ比較してしまう。

まあ何といっても聴き続けたい気分にさせてくれるのが良い。

iPhone同様にMP3(266kbps vbr)とappleロスレスの2種類のエンコード方式で作成された音の違いはわからない。まあ私の耳がそんなに良くないからであろう。ハッピーなことである。CD700枚の再変換は止め。

さて、今回はオープンエアー型ヘッドホンも新調した。イヤホンだと一日中聞いていると耳の穴が痛む。
Hd650 Sennheiser HD650

Img_0153_0043 見よこの高級感

聴いてみた第一印象はER-4Sとはまったく対照的。低域よりでクリアさよりも雰囲気を重視している。評価は聴きこんでエージングしてからだが、音が見えそうな予感。

心配するのはやめよう

ヨブ記38章、ゼカリヤ書13章、ヨハネの黙示録15章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

ヨブ記はここから神様の御言葉が始まる。

だれが心のうちに知恵を置いたか。
だれが心の奥に悟りを与えたか。

(ヨブ記38章36節)

これが私には主題に思える。どのようにして私は今知っていることを知ったのか。どのようにして私はこのように考えるに至ったのか。
人は事物を見聞きしたときひらめきをもって関連性を得て悟る。このひらめきはどこから来るのか。
私は、その人が必要なことを悟るように神様がされているのだと考える。

全ては神様のお考えによるのである。だから今の自分を神様の目には特別な存在であると信じるのが良い。

烏の子が神に向かって鳴き叫び、
食物がなくてさまようとき、
烏にえさを備えるのはだれか。

(ヨブ記38章41節)

救い主イエスの有名な言葉が重なる。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

(マタイの福音書26-31節)

心配している人たちへ、
その心配には意味がない。境遇そのものに意味がある。それも神様のお考えによるのだから、神様に尋ね、求めるのが良い。神様がヨブにお答えになられたようにあなたにも答えてくださる。

だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
(マタイの福音書7章8節)

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2008年12月27日 (土)

人は必ず神様と出会う

ヨブ記36-37章、ゼカリヤ書12章、ヨハネの黙示録13-14章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

ヨブ記はこの章をもってヨブとその友人たちの議論が終わる。一連の議論の焦点は神様の描写である。

しばらく待て。あなたに示そう。
まだ、神のために言い分があるからだ。
私は遠くから私の意見を持って来て、
私の造り主に義を返そう。

(ヨブ記36章2-3節)

神のために言い分ある”とはなにごとか。神様は人の弁護を必要とするとでも思っているのであろうか。

神は彼らの耳を開いて戒め、
悪から立ち返るように命じる。
もし彼らが聞き入れて仕えるなら、
彼らはその日々をしあわせのうちに全うし、
その年々を楽しく過ごす。
しかし、もし聞き入れなければ、
彼らは槍によって滅び、
知識を持たないで息絶える。

(ヨブ記36章10-12節)

えてしてこのように”勧善懲悪”をもって神様を説明しようとする。人はその良心からまた今まで受けた教育から自然とそうなる。
以前、息子に神様について説明していた時に息子がこう言った”悪い人を罰する神なんか信じない”。まことにもって正しい見解である。自分が神様から受け入れられないことは明白だからである。

私たちが人からの良い評価を必要とするように神様もそのような方だととらえてはいけない。神様はご自身で栄光を現される。
神様は預言してご自分の栄光の現し方を次のように仰っておられる。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
(ゼカリヤ書12章10節)

彼らは、自分たちが突き刺した者十字架上の救い主イエス、わたし(神様)を仰ぎ見”これが神様ご自身による私たち人間への顕現である。
人はみな自分の罪によって十字架につけた救い主イエスが神であったことを知るのである。そして神様について”神は愛”だと知る。

神様は誰の弁護も必要ない。私たちはどのようにして神様とであったのかをあかしすることしかできない。

2008年12月26日 (金)

能なし牧者

ヨブ記35章、ゼカリヤ書11章、ヨハネの黙示録11-12章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

ヨブ記エリフのことばが少しわかってきたような気がする。彼は正しいがヨブに対して的外れな議論を持ちかけているようである。

天を仰ぎ見よ。
あなたより、はるかに高い雲を見よ。
あなたが罪を犯しても、神に対して何ができよう。
あなたのそむきの罪が多くても、
あなたは神に何をなしえようか。
あなたが正しくても、
あなたは神に何を与ええようか。
神は、あなたの手から何を受けられるだろうか。
あなたの悪は、ただ、あなたのような人間に、
あなたの正しさは、ただ、人の子に、
かかわりを持つだけだ。

(ヨブ記35章5-8節)

確かに私たちは創り主である神様にに対して何も与えることはできない。人の視点に立てばそうである。神様は私たちに関心を持たれている。神様の視点で見ることはできないが、神様は私たちの自由意思がもたらす思いや言動の一つ一つを見守っておられる。

救い主イエスの預言が登場する。ユダの裏切りに対してユダヤ人が支払った対価である。

【主】は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、私は銀三十を取り、それを【主】の宮の陶器師に投げ与えた。
(ゼカリヤ書11章12節)

私たちは神様を評価する。なんという傲慢。何という愚かな行為か。我々が何を知っていると言うのか。
同じように私たちは愛の尊さを値踏みする。

もうすぐこの日がやってくる。

「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」

(ヨハネの黙示録11章17節)

死者のさばかれる時である。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている
(へブル人への手紙9章27節)

この日が来る。備えをしなくてはならない。

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
(ヨハネの黙示録12章11節)

救い主イエスの十字架の贖いとそのあかし。これにより死と復活による命を得る。そして死者のさばかれる時を免れる。

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I stood beneath an orange sky.

青いく澄んだ空・・・・これ最高。

少し濃いめのオレンジ色の空・・・・これも良いかもしれない。

英語の歌詞はよくわからない。だから妄想が膨らんでいく。

Alexi_murdoch_time_without_conseque Alexi Murdoch "Time Without Consequence"

渋い声がささやくように、ゆったりとした世界にいざなってくれるアルバム。

2008年12月25日 (木)

神様の自己紹介

ヨブ記34章、ゼカリヤ書10章、ヨハネの黙示録8-10章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

だれが、この地を神にゆだねたのか。
だれが、全世界を神に任せたのか。

(ヨブ記34章13節)

神とはそういう方である。
あなたが認めるのではない。

神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」
And God said to Moses, "I AM WHO I AM."

(出エジプト記3章14節)

2008年12月24日 (水)

望みを持つ捕らわれ人よ

ヨブ記32-33章、ゼカリヤ書9章、ヨハネの黙示録6-7章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

エリフは最終章でヨブのとりなしの対象となっていない。エリフの発言は正しいのか。

私は思った。
「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教える」と。
しかし、人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。

(ヨブ記32章7-8節)

心の奥底から聞いたこともない、考えたこともない知識と知恵があふれ出ることがある。
このいきどおりを目下だからと言って、新参者だからといって抑え込んではいけない。

エリフは救い主イエスを信じている。

もし彼のそばに、ひとりの御使い、すなわち千人にひとりの代言者がおり、それが人に代わってその正しさを告げてくれるなら、
神は彼をあわれんで仰せられる。
「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」

(ヨブ記33章23-24節)

主イエスのエルサレム入場の預言。

シオンの娘よ。大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。喜び叫べ。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。
それも、雌ろばの子の子ろばに。

(ゼカリヤ書9章9節)

今日も昨日と変わらず神様の恵みはある。

望みを持つ捕らわれ人よ。とりでに帰れ。
わたしは、きょうもまた告げ知らせる。
わたしは二倍のものをあなたに返すと。

(ゼカリヤ書99章12節)

望みを持ち続けよう。

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2008年12月23日 (火)

ヨブ記31章、ゼカリヤ書7-8、ヨハネの黙示録4-5章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

何のために義を追い求めるのか。

万軍の【主】の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねさせた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」
(ゼカリヤ書7章3節)

義を行うことに嘆く民。
これにたいして神様は答えられる。

すると、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。
  「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。
あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。

(ゼカリヤ書7章4-6節)

また来たるべきじだいについて神様は語られる。

万軍の【主】はこう仰せられる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛せよ。」
(ゼカリヤ書8章19節)

義は喜びとなる。

ヨブのことばは終わった。(ヨブ記31章40節)

ヨブの自分を義とする主張は終わった。義であることに努力し続けたのであろう。そして聖書が証印を押している。

ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。(ヨブ記1章1節)

私にとって義であることは非常につらい。義が自分の喜となることを知らない。

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2008年12月22日 (月)

苦難の中に生きている意味を見つけ出すために、7つの教会への言葉を覚書として要約しておく

ヨブ記29-30章、ゼカリヤ書5-6章、ヨハネの黙示録2-3章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

(ゼカリヤ書はよく解らない・・・・・)

ヨブの言葉を読んでいて、幸せは相対的なんだなと思った。そうであれば人類はいつまでたってもそれを克服できないことからすると、苦難には重要な意味があるのがわかる。

ああ、できれば、私は、
昔の月日のようであったらよいのに。
神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。

(ヨブ記29章2節)

この後ヨブは自分の身分が下がったことを嘆いている。ヨブの状況は極端だが惨めな自分を見て嘆いているのがうかがえる。

私はあなたに向かって叫びますが、
あなたはお答えになりません。
私が立っていても、
あなたは私に目を留めてくださいません。
あなたは、私にとって、残酷な方に変わられ、
御手の力で、私を攻めたてられます。

(ヨブ記30章20-21節)

神様が守ってくれなくなったことの現れとしての境遇を嘆いている。ヨブは自分の繁栄は神様の守りと恵によることを知っていた。苦難にあって神様の主権を尊重している。

話を戻して。ヨブの死は許されていない。もちろんヨブは知らないが。

【主】はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」
(ヨブ記2章6節)

死によって苦難が終わることを知っているのであるから、ヨブはこの境遇を生きて何かを得ようとしている。ただただ苦難の意味を見出そうと生き続ける。

さて実際のところ人が不幸なのは、次の瞬間の自分が苦難にあるかもしれないことの恐れが原因であると常々思っている。惨めな自分、痛み、貧しさかもしれない。それ故に多くの人がそこから目をそらそうと何かに夢中でいる。時間の感覚を麻痺させているように見える。一生は思っているよりも短い。

苦難は突如としてやってくる。人それぞれの苦難は多様である。相対的であり困ってる人にとってはもちろん一杯一杯である。自殺者の心理は生きてる人間には絶対にわからないと思っている。

神様は人それぞれに個性と境遇とをおあたえになり、そして励まされる。そして勝利の報いを約束して下さる。
黙示録の7つの教会に学ぶことができる。以下は自分のためのメモである。

エペソにある教会

  • わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった
    (2章3節)
  • あなたは初めの愛から離れてしまった
    (2章4節)
  • 初めの行いをしなさい(2章5節)
  • 勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。
    (2章7節)

スミルナにある教会

  • サタンの会衆である人たちから、ののしられている(が耐えている)
    (2章9節)
  • 苦しみを恐れてはいけない
  • (2章10節)
  • 死に至るまで忠実でありなさい
    (2章11節)
  • 勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。
    (2章11節)

ペルガモにある教会

  • (サタンの王座にあって)わたしに対する信仰を捨てなかった
    (2章13節)
  • (一部ある偶像崇拝を)悔い改めなさい
    (2章16節)
  • もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう
    (2章16節)
  • 勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。
    (2章17節)

テアテラにある教会

  • あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている
    (2章19節)
  • サタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない
    (2章24節)
  • あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい
    (2章25節)
  • 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。
    彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。
    また、彼に明けの明星を与えよう。

    (2章26-28節)

サルデスにある教会

  • あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
    (3章1節)
  • 目をさましなさい
    (3章2節)
  • あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。
    (3章3節)
  • 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
    (3章5節)

フィラデルフィヤにある教会

  1. あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった
    (3章8節)
  2. あなたを守ろう。(3章10節)
  3. あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。
    (3章11節)
  4. 勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。
    (3章12節)

ラオデキヤにある教会

  • あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
    (3章16節)
  • 熱心になって、悔い改めなさい。
    (3章19節)
  • 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
    (3章20節)
  • 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
    (3章21節)

7つの報いについてはそれがどれだけの価値を持っているのかがわからない。想像を絶する栄誉を得ることだけを知っている。

ただ死ぬまでは今の思いを守り通していたい。

実を言うと”ラオデキヤにある教会”への言葉が一番好きである。熱心でありたい。戸がたたかれた時には喜んでお迎えしたい。食事の席に付きたい。

2008年12月21日 (日)

二倍の祝福とはすでに与えられた恵みを二倍知ることだ

ヨブ記28章、ゼカリヤ書4章、ヨハネの黙示録1章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

Img_0148

このボトルには水道水が入っている。しかし冷蔵庫で冷やすとあら不思議旨いのだ。最高の水になる。三本のボトルを使って水道水を優雅な気分んで飲み続ける。
パソコンにはCD700枚分7200曲が入っていて、今私を楽しませてくれる。
ピカピカのベースギターも私にとってはビンテージものだ。肩が動くようになったので、またお付き合いできる。
旅に出たくなったらバイクがある。

私は十分に持っていることに気づいて驚いた。

こうして、神は人に仰せられた。
「見よ。主を恐れること、これが知恵である。
悪から離れることは悟りである。」

(ヨブ記28章28節)

知恵と悟りは探しても見つからない。

また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

(ヨハネの黙示録1章6-7節)

2008年12月20日 (土)

万軍の主と義人

ヨブ記24-27章、ゼカリヤ書2-3章、ヨハネの第三の手紙、ユダの手紙を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

私は仕事で恐怖におののいたとき、”万軍の主”に向かって助けをもとめた。

私の息が私のうちにあり、
神の霊が私の鼻にあるかぎり、
私のくちびるは不正を言わず、
私の舌は決して欺きを告げない。
あなたがたを義と認めることは、
私には絶対にできない。
私は息絶えるまで、
自分の潔白を離さない。
私は自分の義を堅く保って、手放さない。
私の良心は生涯私を責めはしない。

(ヨブ記27章3-6節)

今、私はこんな人でありたい。

2008年12月19日 (金)

詳しく調べる気はないが聖書日課はよくできているな

ヨブ記23章、ゼカリヤ書1章、ヨハネの第二の手紙1章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

神様は私に一番良い道を開いてくださる。だがその工程にはつらい道のりもある。これからのことを考えたとき、私もまたヨブと同じ思いになる。

神は、私について定めたことを、
成し遂げられるからだ。
このような多くの定めが神のうちにある。
だから、私は神の前でおびえ、
これを思って、神を恐れているのだ。

(ヨブ記23章14-15節)

神様の今なさろうとしているこはこうである。

それゆえ、【主】はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の【主】の御告げ──測りなわはエルサレムの上に張られる。』
(ゼカリヤ書1章16節)

我々の中に宮を立てられ一緒に住まわれる。目で見える宮ではなく、実在を伴われない。しかし我々と共におられる。

このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります。
真理と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。

(ヨハネの第二の手紙1章2-3節)

神様が世の初めからなさりたかったことは我々とともにおられることなのだ。

2008年12月18日 (木)

愛の始まりを信じて..........wktk

ヨブ記22章、ハガイ書1章、ヨハネの第一の手紙4-5章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

あなたが正しくても、それが全能者に何の喜びであろうか。あなたの道が潔白であっても、それが何の益になろう。
(ヨブ記22章3節)

悲しいことである。ではなぜ神様は人を創造されたと言うのだろうか。

今、万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。
あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。

(ハガイ書1章5-6節)

我々の人生を象徴していないだろうか。何かが欠けている。その必要についてハガイ書では神の宮の再建の話が続く。
新約聖書は解説している。神の宮とは救い主イエスを信じたクリスチャンそのものである。短い人生でまず第一にすべきことは神の宮の再建、すなわち救い主イエスを信じることである。

ヨハネは神の宮であるクリスチャンについて解説している。”愛”の在り方を詳細に伝えている。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
(ヨハネの第一の手紙4章8節)

常々感じていることは”自分には愛がない”である。では私はクリスチャンではないのか。いや違う。愛を持つことへの渇望の現れのように思える。これは愛の始まりなのだろう。そして時間をかけて愛がはぐくまれるのだと信じる。
私は次の御言葉が好きだ。

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。
だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。

(ヨハネの第一の手紙4章12-17節)

人はなぜ本当の愛を理解し追い求めようとするのか。そしてどのようにして愛を理解することができるだろうか。この答えが聖書に書かれている。この御言葉はその答えを私に要約して教えてくれる。

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2008年12月17日 (水)

過渡期にある混沌とした苦悩

ヨブ記21章、ゼパニヤ書3章、ヨハネの第一の手紙2-3章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

神様は完全に人の自由意思を尊重される。

彼らはしあわせのうちに寿命を全うし、すぐによみに下る。
しかし、彼らは神に向かって言う。「私たちから離れよ。私たちは、あなたの道を知りたくない。
全能者が何者なので、私たちは彼に仕えなければならないのか。私たちが彼に祈って、どんな利益があるのか」と。

(ヨブ記21章13-15節)

神様に向かわない者はよみ(地獄)に行っても神様の元に立ち返ろうとしない。

ああ。反逆と汚れに満ちた暴力の町。
呼びかけを聞こうともせず、懲らしめを受け入れようともせず、【主】に信頼せず、神に近づこうともしない。
その首長たちは、町の中にあってほえたける雄獅子。そのさばきつかさたちは、日暮れの狼だ。朝まで骨をかじってはいない。
その預言者たちは、ずうずうしく、裏切る者。その祭司たちは、聖なる物を汚し、律法を犯す。
【主】は、その町の中にあって正しく、不正を行わない。朝ごとに、ご自分の公義を残らず明るみに示す。しかし、不正をする者は恥を知らない。

(ゼパニヤ書3章1-5節)

神様は最初から最後まで義を示し、我々を招いておられる。そして悔い改めて神様の元に帰るクリスチャンがいる。かたくなに拒否する者も、関心を持たないものもいる。

その日には、あなたは、わたしに逆らったすべてのしわざのために、恥を見ることはない。そのとき、わたしは、あなたの中からおごり高ぶる者どもを取り去り、あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。
わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄るべのない民を残す。彼らはただ【主】の御名に身を避ける。

(ゼパニヤ書3章11-12節)

悔いる者に対するに対する神様の寛容である。

人は変わることができる。

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2008年12月16日 (火)

Jazz Bass 其の5

完成

Img_0145 

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:
good

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なるほど1日3章ではなく、きりのいいところをで区切ってるのか

ヨブ記19-20章、ゼパニヤ書2章、ヨハネの第一の手紙1章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

ヨブ記の議論を見ていると救い主イエスとパリサイ派の長老の議論と重なる。義人への糾弾は一見正しく見えるが、それは人が作りあげた正しさの基準である。

もし、私がほんとうにあやまって罪を犯したとしても、私のあやまって犯した罪が私のうちにとどまっているだろうか。
(ヨブ記19章4節)

犯した罪と本質としての罪がある。ローマ人への手紙の中で解説されている。行為の結果が状況を生み出すが、それは関係の産物であり色々な事象となる。罪の結果として悪いことが起こるなどの因果などない。

いま知れ。「神が私を迷わせ、神の網で私を取り囲まれた」ことを。
(ヨブ記19章6節)

ヨブ記の冒頭に出てくるがヨブは義人である。神様がヨブに対する災いをサタンに許されたのだ。

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。
(ヨブ記19章25節)

まだ登場しない救い主イエスに対する希望がまた登場する。このことを見出すことに災いの意味はある。ヨブ記はこのことを後世の我々に教えている。

悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ。
(ヨブ記20章5節)

これは間違いである。すべての人の喜びは短く、楽しみはつかのまである。世はサタンの支配下にあり。人は飽くことを知らない。

昼間、吹き散らされるもみがらのように、あなたがたがならないうちに。【主】の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。【主】の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。
主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。【主】を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、【主】の怒りの日にかくまわれるかもしれない。
(ゼパニヤ書2章2-3節)

【主】の怒りの日はまだである。神様は待っておられる。

もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

(ヨハネの第一の手紙1章8-9)

ヨブの主張の通り、あやまって犯した罪は私たちの中にとどまらない。ひとつの罪が我々を責め神様から我々を引き離そうとする。これが罪の性質である。遅くはない神様に”ごめんなさい”と言おう。

2008年12月15日 (月)

聖書日課がずれているような

ヨブ記17-18章、ゼパニヤ書1章、ペテロの第二の手紙2-3章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

不自由、苦るしみ、困難、悪いこと、痛み、悲しみ、恐怖、不安、これらに見舞われたときには考えないといけない。神様に出会うチャンスである。「神様なぜですか」と問いかけるのが良い。
ヨブ記を読んでいていつもそう思う。

わたしは必ず地の面から、すべてのものを取り除く。──【主】の御告げ──
(ゼパニヤ書1章2節)

その日まで神様は待っておられる。人がそのつらい人生の中で神様に出会うのを。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
(ペテロの第二の手紙3章9節)

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Jazz Bass 其の4

ヘッドとボディを仕上げる。

Img_0126 Img_0140 美しい
ディスプレイ映像が映りこんどるな。

メッキの輝きはない。どちらかと言うとステンレス系である。元々そうか。

ネックは反りの様子見であす以降の取り付けになる。

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Jazz Bass 其の3

金属パーツンの錆取りに取り掛かる。

Img_0122 CRC 2-26の海に佇むパーツ達
概ねピカピカである。ペグ、ネックセットプレート、銅パーツが今一なのでピカールで責めてみようかと思う。

リードクッキングペーパーがなくなったので作業終了。

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2008年12月14日 (日)

ヨブの道

ヨブ記16章、ハバクク書3章、ペテロの第二の手紙1章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

命以外のすべてを失う苦難と友の虚しい叱咤激励の中でヨブはまだ聞いたことも、見たこともないキリストを信じていた。

今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。
私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。
その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。
数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくからです。

(ヨブ記16章19-22節)

神様の裁きの中でハバククはまだ聞いたことも、見たこともない自分の救い主(キリスト)にを信じていた。

しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
(ハバクク書3章18節)

ペテロは”恵みと平安”の源について述べ伝えた。

神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
(ペテロの第二の手紙1章)

”恵みと平安”は本当にある。見切りをつけないで求めてみよう。次元の違う安心感に包まれるから。

私はヨブの道、神様に祝福されて生き続ける道を求め続けた。そしてその道に入ることを許されたようである。これは私の望んだ道である。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。

2008年12月13日 (土)

Ivory Tiles

面白すg・・・・いpほね買ってよかった( ^ω^)

最短手数を狙うと気分は功夫

得体のしれない畏怖の念

ヨブ記15章、ハバクク書2章、ペテロの第一の手紙3章を読む。
―聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)の活用―

ハバクク書の次の件は実に身近なことである。

彫刻師の刻んだ彫像や鋳像、偽りを教える者が、何の役に立とう。物言わぬ偽りの神々を造って、これを造った者が、それにたよったところで、何の役に立とう。
わざわいだ。木に向かって目をさませと言い、黙っている石に向かって起きろと言う者よ。それは像だ。それは金や銀をかぶせたもの。その中には何の息もない。
しかし【主】は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ。

(ハバクク書2章18-20節)

人は不可知の領域にある何かしらに畏怖の念を抱く。それは太古の昔から今に至るまで同じである。不可知の領域は、森の外から宇宙の果てへと切り開かれて行ったが、依然として畏怖の念は変わらない。無知や未熟が宗教を生むのではなく、この畏怖の念が宗教を生むのである。
なぜ畏怖の念を形造ろうそうとするのか。創った方を被造物が形で表すことなどできない。ここに本物と偽物の違いがある。
これが言った者勝ちであるかどうかを吟味するために聖書を調べればよい。その価値は大いにある。

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
(ペテロの第一の手紙3章15節)

私の弁明はこの手紙にある。

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
(ペテロの第一の手紙3章18節)

神が全てのものをお創りになられたこと。神は愛であり、ご自身を現されるためにキリストを実現されたこと。このことを信じる。

昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
(ペテロの第一の手紙3章20節)

ノアは雨など見たことも聞いたこともなかった時に、大洪水が来ることを信じて、また神様がそれから救ってくださることを信じて、箱舟を作ったのだ。なぜ雨がなかったかはあの大洪水の時に初めて虹がかかったことからわかる。

選択の時が来る。信じて舟に乗るか、あざけって舟に乗らないか。

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2008年12月12日 (金)

Jazz Bass 其の2

メンテナンス作業を記録する。独り言を言いながら作業を進めるのは基本である。失敗したときのための記録になる。(とFOXのドラマ”The unit”で学んだ)

Img_0110 ボディ

Img_0113 Img_0112 ネック

ピカピカ( ^ω^)

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理解しがたい境遇に身を置いて

ヨブ記14章、ハバクク書1章、ペテロの第一の手紙2章を読む。

人生とはまことにこのようである。虚しく、悲しく、義を全うすることなどできない。しかし神様はそのような人間、神様が作られた人間を裁くと言う。

女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです。花のように咲き出ては切り取られ、影のように飛び去ってとどまりません。
あなたはこのような者にさえ、あなたの目を開き、私をご自身とともに、さばきの座に連れて行かれるのですか。だれが、きよい物を汚れた物から出せましょう。だれひとり、できません。

(ヨブ記14章1-4節)

我々を取り巻く世の中はあまりに不合理である。神様は今のこの一事には介入して下さらない。

【主】よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。私が「暴虐」とあなたに叫んでいますのに、あなたは救ってくださらないのですか。
なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっています。
それゆえ、律法は眠り、さばきはいつまでも行われません。悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げて行われています。

(ハバクク書1章2-4節)

これらは無神論者の方々の”不在理由”によく登場する。”それ故に神はいない”と。
ご指摘の通りのことを聖書には事実として記載してある。

なぜ、神様はこのような誹りを甘んじて受けられるのだろうか。全能な方なのに。

なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」
(ペテロの第一の手紙2章6節)

神様は我々の叫びに対して救い主イエスという実在を通してご自分現わされた。

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

(ペテロの第一の手紙2章22-24節)

救い主イエスは真の義と犠牲という愛を私たちに示して下さったのだ。これこそが神様そのものなのである。

ヨブは言った。

だれひとり、できません。

救い主イエスはお答えになられた。

それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。

ハバククは言った。

あなたは救ってくださらないのですか。

救い主イエスはお答えになられた。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

信じませんか。

朝日を背にうけて

インフルエンザの注射をしに近所の病院へ。

Img_0106

往復100mほどでも気分が良い。

♪朝日を背にうけて向かうところ敵なしの、朝日を背にうけた人になりたい。
(by Fryingkids)

2008年12月11日 (木)

Jazz Bass

Jazz Bassのメンテナンス開始。

交通事故で左肩があがらあくなって1stフレットがとどかなくなり弾くのをやめてしまった。もう2年も放置している。

Img_0070_3 Jaco仕様(*・ω・*)ゝ
人前では絶対使用できない。

10年ほど前に誕生日のお祝いに家族からもらった。
たぶんFender JAPAN JB62-75US 3TSである。

とりあえずバラバラにする。

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聖書日課

ヨブ記13章、ナホム書3章、ペテロの第一の手紙1章を読む。

見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。
(ヨブ記13章1-2節)

ここにヨブの間違いがある。ヨブは確かに知っているのだが、それはヨブの努力によるのではない。神様からの教育によるのである(38章でこのことをヨブは神様から教えられる)。であるからこれに続く”神と論じ合ってみたい。”には意味がない。

しかし、あなたがたは偽りをでっちあげる者、あなたがたはみな、能なしの医者だ。
(ヨブ記13章4節)

私はよく同じように感じる。これを傲慢だとは思わないで当たり前のことだと思っている。相手から見てもまた然り。1-2節についてと同様に神様からの教育はそれぞれのクリスチャン毎に違いあるのだから。ただ自分の直観に訴えてくるものをそのまま正直に伝えるのが良い。教育をするのであれば、自分がどう思っているかではなく自分の拙い言葉を通して神様が語ってくれることを祈るのが良い。
”・・・して欲しい”は不要である。人を変えたければ自分が変わらなければならない。今の自分では伝えるのに不十分だから相手は変わっていないのである。

包囲の日のための水を汲み、要塞を強固にせよ。泥の中に入り、粘土を踏みつけ、れんがの型を取っておけ。(ナホム書3章14節)

なんか気になるが全く分からない。ただ準備しておきなさいと言われているようである。具体的にはおいおいわかるのかも知れない。

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)

人はみな一人ではないことを確信していたい。たくさんの人々がいるが特別な相手を探している。誰か自分を理解してくれる存在を求める。
クリスチャンは見たことのないイエス・キリストを感じ取ることができる。彼が私に触って下さり、彼の心に触れさせて下さるのである。私の様なものでもこの喜びに満ちている。

また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるの
なら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。
(ペテロの第一の手紙1章17節)

親子関係は私が子供であった時と比べると大きく変わっているように見える。だがこれも偏見のように思える。子供は親に対するありようを変えてはいないと思う。何かをきっかけに態度を変えることはあるがそれは見せかけのことである。親の子供に対するありようも変わっていないと思う。ただ自分の子供のころの親に対する態度を振り返って不器用になってしまうだけではないだろうか。
子供はいつも実の親を恐れかしこんでいる。

久しいぶりにカテゴリ”聖書”について書いた。
昨日耳の痛みからイヤホンをできずiPhoneの使い勝手向上を目指していじっていた(成果は絵文字入力とアプリの活用)。アプリ”HORY BIBLE”が無料配信されていたのでダウンロードした。そこに聖書日課(Robert Roberts:Daily reading plan)があった。今日の箇所はそれに基づく。
続くかな・・・

2008年12月10日 (水)

Living In the Material World

居住空間が完成した。

Dsc00002 3畳程だが快適である

耳栓をしてgoogleリーダーを眺める。

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2008年12月 9日 (火)

The Japanese Tradition - Sushi

このVIDEOは何を目的に作ったのだろうか?

窒息の苦しみのその先に開けるもの

湯船に顔を付けて耐えてみる。
・・・・・・
苦しくて顔をあげる。
好奇心がこれをさせる。

苦しみは不思議である。なぜなら選択的に避けた瞬間に安堵に変わる。対して痛みは徐々に消える。
苦しみは継続してはいけないことを止めさせるための機能である。
だが苦しみは耐えることを美化し達成の暁とその繰り返しに居着く性を刺激する。

はて窒息の苦しみのその先には何が隠れているのだろうか。

荒れた水面、比較的穏やかな水面、未知の水底

また浮上して息継ぎしてしまった。

2008年12月 7日 (日)

Ally McBeal

毎週欠かさず”アリー・myラブ(Ally McBeal)”を見ている。

主役のアリー(Calista FlockhartCalista_flockhart )ががなぜか気になっていたのだがある時に理由がわかった。昔好きだった女性になんとなく似ているのだ。
ドラマの内容は最悪に面白くないし、似てるってだけで見続ける性格でもないのだが、見続けている。
リンー(鼻で抜けるように険がないように)・ウーことLucy LiuLucy_liu が出てくることを知ったからである。どんな風に登場するのか、どんな役約作りなのかが楽しみで2ndSeasonに突入してしまった。

このLucy Liuなぜか見とれてしまうというか見ていて飽きない。くだらない2作品チャーリーズ・エンジェル、キル・ビルも何度かみた。キル・ビルはこれまた大好きなDaryl HannahDarylhannah (2歳年上の彼女の今は、、、Calista Flockhartも2歳年上は2歳年下でしたか・・・・あれ?)が出ていたというのもある。

Lucy Liuになぜ見とれるのかがわからない。今日のAlly McBealは2ndSeason Episode13、Lucy Liuが主役、よく出てきて色々な表情を見せる。
ある表情で閃いた。ジャケット写真に一目ぼれしてDebutを買ってしまったBjörkBjork に似てる。

音楽と言えばThe StrangerのMovin' Outを聴くと未だに昔付き合ってたとある女性を思い出す。当時友達は大竹しのぶOotake85930_2に似ていると言っていたが私は一度もそう思ったことはない。

付き合ったと言うと初めて告白した女性とは自然消滅するまで一言も話をしなかった。
三日間だけ付き合った女性がいる。聡明な彼女は計画通りにあることを待って学校を辞めた。その貴重な最後の三日間の相手に光栄にも選ばれたのだ。彼女の記憶にどのようにのこているのか。
最後に別れた女性にはかなりひどいことしていて、そのことが未だに心に残っている。

もうたくわんは歌わない。

愛だの、恋だの、ときめきだのはもういつか分からないぐらい昔に枯れてしまっている。

私と色恋なんてこんなもんである。

ついmcbealismつられてウガチャカ・ウガウガ

2008年12月 6日 (土)

塗装ブース

長らく放置していたラジコンボディの塗装を開始する。

Img_0069 塗装ブースである
これはこれは図体がでかくて作りがちゃちー

スイッチオン。結構静かで手をかざしても”大丈夫か”って感じである。

クリアーを吹く。
・・・・・・
一応吸ってるみたいだ。煙と匂いが拡散していない。

塗り終わったボディから塗料臭が、、、、
なるほど塗装ブースで解決できる匂いの問題は塗ってる時だけのわずかでしかないのか。

塗装はと言うとすごい白濁りである。前回ペイントりムーバーで剥いだはずの白が溶け出している。デカールも剥げて切れてる。
塗ってる途中で嫌になってきた。

道のりは長い。

2008年12月 5日 (金)

さて

仕事もひと段落ついた。

さて、何をしようか。

Img_0068 掃除して弦を張ってやるか
ポリシュポリシュ

片頭痛かコリからくる頭痛か

区別がつかんがな。
それぞれに対して処方されている。両方飲むか。
薬局の品揃えの都合で、マクサルトRPD錠10mgの代わりにゾーミッグRM錠2.5mgを処方される。
Img_0067 脳の血管を収縮させるらしく毎日飲んでは危険らしい。
無尽蔵に出す医者がいたりいろいろである。 

脚の痛み用の安定剤は効かないので中止。困った。
(後日談:テグレトールとガバペンを止めたら耳鳴りが止まった)

鬱は人と話をするのと人の集まる所に出るのが苦痛なぐらいで引きこもってれば何の問題もない。10代、20代の若者が引きこもるのは”人生もったいない”ってな感じだが、40代のおっさんだったらそれもそういう生き方である。

ソラナックスは出番が少なく大量に余ってるので中断。この薬は罪悪感から解放してくれるという効果があるのだが。
間違えてレキソタンを中断してる。また病院に行かねばならない。
(後日談:睡眠時に飲むと爆睡できるので毎日飲んでたがソラナックスでも同じ効果が得られるのでソラナックスでいくことにする。)

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2008年12月 2日 (火)

ホームページのリニューアル

集会のホームページを作り直す。

ie6で必至にレイアウト調整したのがie7では仇になっていた。ずれずれですがな。
今まで全然気付かなかった。よく見ると統一性のないコードもちらほら(ほう、わかるようになったか)
これを機にCSSの意味不明な記述を一斉排除。

Safar(見たけどムリ)iとFirefoxは検証せんといかんな。

NotePad++は便利じゃな。

XLR125rの燃費17039.2km

久しぶりにXLR125rに乗った。

「遅」

よくこのバイクであんな遠出してたな。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも負けず、、、
去年は元気であった。

で、ガス欠ですか・・・・

Img_0066 17039.2km
144.1km÷5.9L=24.42km/L @123\ (鈴蘭台)

オイル交換せんといかんがな。
チェーンに注油なんかしてないんだろうな。

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