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2008年10月

2008年10月27日 (月)

退院

Img_0040

抜釘した左足より右足の方が痛かったりする。

2008年10月24日 (金)

Mama Kin♪

手術中に先生の会話や音で不安にならないように、とのことでiPhoneを持ち込む。

iPhoneといえば、写真を撮りまくった。調子に乗っていた。
Img_0028 死んだらGameOverと表示される装置だ

選んだアルバムは
Ultimate_aerosmith_hits_3 Ultimate Aerosmith Hits
Aerosmithを聴きながら手術だ、とルンルン気分であった。足の消毒が始まってさて手術開始、Mama Kin♪

この後、もう忘れていたトラブルプロジェクトのプロジェクトマネージャーの気分を味わうことになる。

先生が何やら話しかけておられる。イヤホンを外す。
ネジが折れていてネジの先端部分と髄内釘がくっついたまま骨の中に残ってしまった、このままでは髄内釘を抜けないとのこと。しかも4本のネジのうち3本がその状態に。一本は先端部分が腓骨に隠れていて腓骨を折らないと抜けないらしい。”諦めて”って感じで説明が進む。どうも判断を迫られているようである。 ”腓骨を折って抜いてください。継続して腓骨骨折の治療をします。”と言ってしまった。 ”大変なことになったなー”と一言が入って手術は続く。

先生方が一生懸命に処置してくださっている中、”無理を言ってしまった”と申し訳ない思いに駆られながら何もできない自分がいた。しかしこの気まずい状況をやり過ごす術を私は持っている(そんな自分が嫌なのだが、、、)。その後も何度か諦めることを促されたが、何が何でも髄内釘を抜いていただくようにお願いした。

そう髄内釘を抜くことにこだわっていた。なぜこだわっているのかずっと考えていた。
治る予定の傷が治らないと知らされた失望感か。いやそこまで障害にこだわりはない。今の自分で充分、障害には意味があると思っている。
あっ思い出した。髄内釘を入れたまま前回のような事故を起こすと今度は取り返しの付かないことになるので、髄内釘を抜くのがバイク再開の前提条件だった。既に無理やりバイクは再開していたので完全に忘れていた。深層心理に”何が何でも抜かないといけない”が有ったのだろう。要は帳尻を合わすと言う最低な理由だった。

最後のムリをお願いしした時にAerosmithが終わった。 最低な気分を晴らすために
Brasiljazz Kevyn Lettau Brasiljazz
うーん、こんな曲だったかな。Pat Methenyのボーカル版てな感じである。雨降る街を外出の用事もなく窓越しに眺めているような感じ。活動的な予感と守られて落ち着いている気分。なんか違うが、まあこれはこれで良いか。

そして手術は終わった。先生の一人はお怒り気味だった。そりゃ無理を言って大変な中、写真を撮ったり、知らん顔で音楽に集中したら怒るよな。

手術室から出る際、”抜くことにこだわりましたね。私やったらとっとと諦めてるな。”、”今日は12時終了覚悟してたんですよ。”、”私もこだわるな”と言われた。
”私もこだわるな”が嬉しかった。

先生の技術のおかげで腓骨骨折は免れた。

大腿骨の骨移植と同時に全身麻酔だったら、髄内釘を抜くのは中断されてたんだろうと思う。やはり現状には意味がある。

2008年10月23日 (木)

抜釘

抜釘
左足から出たー
詳細はあらためて。

手術の前に

腰椎麻酔なので手術にiPhoneを持ち込める。機内モードにすればよさそうだ。

Img_17 チクチクする

Gmailに散在していたメールをまとめたら、すごい使いやすくなった。
blogに複数写真載せられないだけでモバイルPCとして十分である。

カナダの息子が来週バプテスマを受けるそうだ。感謝、感謝

息子

ところで来週バプテスマ受けさせてくれるみたい。

おめでとう。

息子

ども。
月末に何人かバプテスマするから今日はバプテスマに関する話やってんけどね、バプテスマ受けたい人いたら是非周りの人に声かけてくださいって。
教会の人が父さんと同じこと言ってたな。

”バプテスマ受けたい人いたら是非周りの人に声かけてくださいって”
これすごいね。正しい姿だと思う

息子

話聞いてても教会のスタンスに信じるというプロセスとバプテスマの違いがあるようには思えなかったし。

信じるとバプテスマの間の境界線はなんなんだろうねー。

息子

そのことを質問したんやけどね「本来はあるべきではないと思う」って。
変に意味をつけて区別しようとするからややこしい事になるんやと思う。
教会に属する決意だとかなんだとか。

まあ国教がややこしくした原因やろな。

息子

すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。(使徒の働き2章38節)
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 (使徒の働き2章41節)

「本来あるべきではないと思う」って回答にたしかここを引用していたのかな。
「何千人もの人々に一斉にバプテスマしたっていうくらいだからね~」みたいなこと言ってて。

当時、バプテスマのヨハネが道を開いていたからできたんだと思うけどね。
2000年後の今は悔い改めて神様の許しを得なければって発想が社会的にない。
”悔い改めて神様の許しを得なければ”これはイエスキリストを信じることだってわかることまでのスピード感は違うだろうね。
だけど、”悔い改めて神様の許しを得なければ”と教会に属するに境界線を引いてそこにバプテスマを位置づけてるのは間違ってると思う。

息子

たしかに。
「イエスキリストを中心に結束します」って言ってたけど。

確かに教会に属する=クリスチャンになるなんだけど、今はその教派の集会に属する儀式になってる。そんな記述は聖書にないと思う。

息子

ないよね。

”聖書の伝えてることを信じました”この意思の告白をした瞬間にバプテスマをを受ければいい。必要なのはプールの準備ぐらいやろ。

息子

うんたしかに。っていうかおんなじこと言ってた。
プールの準備がめんどくさいのはこっちも同じで、だから受けたい人集まって今月末やりましょうって。

バプテスマの特別学びなんて足かせつけてるだけで重荷以外の何物でもない。

息子

うん。

どのクリスチャンも神様を仰いで成長する。信じた時点で聖霊を得て自由になるんだから。
それを信じられない人が作った人の教えやで。

息子

一応今週集会の人とバプテスマ受ける前に少し話そうってことになってんけど、特別学びというわけでもなさそうやった。

信じてもないのに国教やから信者とか、産まれる前から信者なんて発想がまかり通ったから信仰告白が慎重になった。

息子

崇高なイメージを重んじてるよね。

信仰があるかの確認じゃないのかな。

息子

だろうね。

考えすぎると信仰ってなんやってなるから、今の自分をさらけだしてバプテスマ受けさせてくれって言う。
バプテスマ受けたいっていったら歓迎してくれてたし。

それでいいよ。
”私は罪びとです。イエス様のあの十字架の犠牲は私の罪のあがないを実現してくれました。悔い改めて正しく生きたいんです”
これだけだよ

息子

うん。

いつ改まって、どう変わっていくかはわからないよ。

息子

うん。

時間の流れ方も神様のご計画通りになるのであせる必要もない。
ただ大切なのは”主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。”の決意だよ。

息子

主に仕える立場を自覚するということ?

主の意思が通る道をまっすぐにせよであって、自分の道をまっすぐにせよではない。主がご計画の通りにされる。道を明け渡す決意だよ。

息子

了解。

もう自分の意思で生き続けてもいいことがないのは解ってるやろ。お父さんは痛感したし、今もそう思ってる。

息子

でもそうなると自分の意思と主の働きの境界も難しいよね。

主の意思を通すと窮屈になるのでは、は歪んだ発想。主の意思を通すと幸せになれる。でもそれがどんな道なのかは誰も知らない。
境界はわからない。全てが主の意思だと信じればいいのではないかい。

息子

そうする。

私は”私は何をしてるのかわかりません間違いを犯しませんように導いてください。神様の自由と平安の中に留まることができるように信仰を守ってください。”とよく祈る。

2008年10月22日 (水)

iPhoneからモブログ

iPhoneからモブログ
モブログの投稿元メールアドレス設定ができたので、早速投稿してみる。

入院

左足下腿の髄内釘を抜くために入院する。

Img_0008_2 久しぶり

このこ突起とおさらばできるか
Img_0013_3 ここを打つとめちゃくちゃ痛い

Img_0016 雨か・・・足痛い

2008年10月21日 (火)

iPhoneから書いてみる

写真を貼る方法が無いような。orz

八ちゃん燃費11,445km

200810212 11,445km

187km÷9.92L=18.85km/L @161 神戸

なにげにiPhoneで撮影するが上手く撮れない。

iPhone

iPhoneにする。

081021_18090001 携帯付ミュージックプレイヤー

結構くせものである。

やっとアドレス帳の登録ができた。ここでOutlook2007を使うことになるとは思わなかった。

2008年10月19日 (日)

クリスチャンの成長の段階

クリスチャンの誕生は新しい創造である。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (コリント人への手紙第二5章17節)

割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。(ガラテヤ人への手紙6章15節)

かつての創造が6日間の段階を経てなされたようにクリスチャンの新しい創造も段階を経ると考えられる。創造の6日間の段階の必然性は確実にあるはずである。

「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(コリント人への手紙第24章6節)

クリスチャンを光で照らしてくださる。創造の第一日目

大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。(創世記1章7節)

分別の確立。創造の第二日目

神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。
神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。
神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。
それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。
こうして夕があり、朝があった。第三日。
(創世記1章10-13節)

キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる
。(ルカの福音書24章47節)

三日目に本質が現れそこに実を結ぶ木が生じる。
そして神様は第三日目以降をよしとされている。

なるほど!!

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2008年10月12日 (日)

ビギナークラス

初戦9人中4位って良いんだろうな。

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2008年10月10日 (金)

ぼよーん

ほー、こんなことができるのか。散髪した記念に。

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2008年10月 5日 (日)

2レプタ投げ入れた貧しいやもめ

もう神様に頼る以外することがないほど進退窮まった状態。

また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。
それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。
みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」
(ルカの福音書21章2-4節)

貧しいやもめは残りがレプタ銅貨二つになるまで、なくなっていく物を見て苦しんだのだと思う。そして投げ入れたと同時に平安が訪れたのだと思う。
投げ入れたのは自我である。

かいぬしなる主よ(聖歌332番)

”わがかいぬし”と言う表現にはいささか抵抗がある。それは良い牧者に飼われた羊がいかに幸いかを知らないからだ。さすがに私に飼われた小動物、植物は悲惨だった。飼われる立場に立った関係がなかった。

振り返って見て考えるに、神様が全ての必要を、願望を常に満たしてくださっていると、やはり良い牧者に飼われた羊の幸いを知ることができない。窮地が解決したときに”何が私を救ったのか”を考える機会を得る。困難や身に起こる災いは神様を知るきっかけである。もっと言うと知るきっかけでしかない。

大切なのは神様は私自信が解っていない全ての必要を常に満たしてくださることを知ることである。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章11節)

良い牧者。”かいぬしなる主よ”は受け入れるに値する真実である。

この方(イエス様)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。(使徒の働き4章12節)

2008年10月 3日 (金)

偽関節

治らん。骨ができない。2年かけて治らない。症状固定のようである。

081003_09320002  骨がつながっていない

本当、太腿の真ん中に関節があるみたいに見える。

痛い・・・・・・

最後のセーフスとなるか。

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2008年10月 2日 (木)

骨の素

前回の失意の診察から3ヶ月。

セーフスした。コラーゲン食べた。明日に備えて今夜は魚だ。
081002_19580001 鰯の生姜煮

2008年10月 1日 (水)

初心に

トラクトを集会のBLOGに掲載してながらふと考える。ここに書かれていることは正しい。では今抱いている違和感は何か。神様は何をされるのだろうか。

Epson010たいせつなあなたへ

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