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2008年1月

2008年1月31日 (木)

KUSHITANI

西宮のKUSHITANI PRO SHOPからシングルジャケットⅡのLサイズを入荷したと連絡を受け、一目散にお店に向かう。

ご購入O(≧∇≦)O イエイ!
79,800円なり

早速、来て帰る。
080131_14190001 お店の前で

雨ですがな。
でも、エグザリートレザーなので大丈夫。雨はじいてます。

080131_15400001 080131_15470001 お家で

しわをつけたくて着たまま。なんか冷えるなー。
革が程よくやわらかくて、いい感じにしわが入る。
このまま綺麗系で保存で着たらよいのだが。

080131_17090002 080131_17090001 080131_17080001
今年のモデルからファスナーのスライダー部が大きくなってかっこよくなっているそうである。

燃費11044.7km

080131_13020001 39.7km÷・・何L入れたか忘れた。
燃費計測のために取りあえず満タンにする。

同じスピードでのアクセル開度が違う。
加速が良くなった。
CDIを交換した時のような体感具合である。パワーロスがないような気がする。
乗ってって楽しくなった。

Dr House season1

Dr House season1を全部見た。

今は全くわからないが、1月ぐらい続ければ何とかなるのだろうか?

2008年1月30日 (水)

プラグ交換

燃費悪化の原因はプラグのせいではないかと思案する。
前オーナーの変な改造の影響ではないだろうか。

混合気が濃くなり、吸気量を多くするように改造していた。プラグもイリジュームになってた。
今回、全部をノーマルに戻したが、プラグは初期にホンダドリームで取り替えてもらってる。
プラグの熱価が怪しい。

080130_17120001 タンクに干渉してますがな。

080130_17300002 フレキシブルプラグレンチ 890円
真っ直ぐ回せてるのか心配になる製品である。しかし、純正のレンチかこれしかプラグを外せない。

080130_17160001 NGK DPR7EA-9
サービスマニュアル上はNGK DPR8EA-9である。熱価が低い。一番焼け型になっている。
見た処、狐色ではなく白である。電極溶解はおこしてないが気持ち白っぽい。しかし、良好の範囲のように見える。

080130_17180002 DENSO IRIDIUM POWER(IX24B) 2,079円

プラグを替えて、試乗してみる。
低回転よりが力強くなった感じがする。
渋滞2速が使いやすくなった。
5速60km/h巡航も走りやすいく、減速後の加速が若干だが良くなった感じがする。
シフトチェンジの回数が減ってマッタリ感が向上したように思える。

燃費良くなってくれYO。

080130_17160002 11,027.0km

英語

全くわからん。
昨日は8話鑑賞する。

080130_09190001 患者が何の病気だったのか・・・

きょうもがんがろう。

2008年1月29日 (火)

English

先日、ヤマダ電機のDVDプレーヤー売り場にて、店員さんに”リージョンコードが1もしくはフリーのDVDプレーヤーが欲しいのですが”とたずねてみた。

”置いてません。リージョンコードがフリーの物が存在するのは知っていますが、詳しく知りません。”と応対された。

その時、これでは”hDVD見たんだが”と言っているようなもんだととっさに思った。

早々に退散し、ネットでオーダーに切り替える。

080129_10540001 Didistance(ゾックス) DS-PP112
D-Spaceで8,980円
7inchディスプレイ付きのリージョンコードがフリーDVDプレイヤーである。

7inchディスプレイは低解像度の大型。あまりきれいではない。暗い。
スピーカーはしょぼくて割れ割れ。

TVにつないでみる。
なぜか白黒、、、、昭和30年代か。
S端子を使っているのに、設定でコンポジット出力になっていた。
カラーになっても暗くて、音も悪い。DVDプレイヤーとしてもイマイチか。

まぁ値段相応ってところである。壊れさいしなければ満足のいく範囲である。

さて何をしたくて、リージョンコードが1もしくはフリーのDVDプレーヤーを欲しかったかというと。
080129_13290001 House Season One
を見たかったのだ。Amazonで6,749円

アメリカ版なので、もちろん字幕も吹き替えもない。
この暇を利用して英語の勉強だ。起きてる間はどっぷり見よう。

イヤホン(ER4-S)で聞くと良い音である。外界の音が遮断されて、没頭できる。

House、Rescue Me、Titusを見るぞ。

2008年1月28日 (月)

風を見て

レビ記7章、歴代史第二21章、雅歌6章、ゼカリヤ書6章、マルコの福音書13章、コリント人への手紙第一12章、マタイの福音書5章3-12節(Clay)を読む。

昨日は何とかメッセージを伝えることができた。
これを話した。

途中、時計を気にしていたら。話しも終盤に近づいてるのに、10分近く残っていることに気付き、あせった。

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。(マタイの福音書14章30節)

調子良かったのだが、まさに”風を見て、こわくなり、沈みかけたので”な感じであった。

時計や下書きを気にするのはいかん。流れが悪くなる。

2008年1月27日 (日)

遠回り

高速入り口が工事中。

080127_09250001 道路はすいてる

遅刻しそう。

2008年1月26日 (土)

働き

レビ記6章、歴代史第二20章、雅歌5章、ゼカリヤ書5章、マルコの福音書12章、コリント人への手紙第一11章、箴言23章15-16節(Clay)を読む。

メッセージの準備もできたし、明日を待つのみである。

この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから(歴代史第二20章15節)

この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。(歴代史第二20章17節)

励ましを受ける。

イエス様を信じ、救いを受けた私が、なお生きるのは、このためである。

イエス様はこの世にあって、触れられることに飢えている者に直接触れ。ことばを求める者に直接語られた。福音を必要とするところに、直接、出向かれた。
イエス様が天に帰られたこの世で、その良い働きを続けるために我々クリスチャンは生きている。

イエス様の手となって触れ、口となって語り、足となって出向くのだ。

神の戦いある”、”主の救いを見よ

2008年1月25日 (金)

信じられねぇことまでする

レビ記5章、歴代史第二19章、雅歌4章、ゼカリヤ書4章、マルコの福音書11章、コリント人への手紙第一10章、マタイの福音書5章1-2節(Clay)を読む。

”日本以外全部沈没”と”硫黄島からの手紙”を見た。
くだらなさすぎると悲しすぎるの両極端であった。

興味深いのは、両映画の全ての登場人物の言動が作り出されている現実と乖離していないと思われることである。
その一つ一つの言動が物語を構成していき映画として完結している。
色々な意味で超越的だと思われる登場人物は一人もいない。映画は淡々と物語が展開していく。

しかし、両映画とも眺めている私にとっては愚かなことをと思ってしまう。

”硫黄島からの手紙”の主人公が言った”ただ生きるってためだけに、信じられねぇことまでする。”が象徴的だった。

そう、両映画とも状況が日常と乖離しているだけである。方やSFで方や戦争である。
常軌を逸した状況が人間に愚かしい行為をさせる。

さて、自分自身を人生という状況に当てはめてみてはどうだろうか。
現実は想像通り現実的だろうか。

何を考えているかわからない他人との関係や、想像を絶する事物との関係が現実を構成しているのだ。
何が起こるかわからないだろう。
現実感という言葉がいかに軽いかと思ってしまう。

常軌を逸した世界と今直面している世界の違いはなんだろうか。
都合よく合理的で都合よく不可解、これが現実の実態ではないだろうか。

我々も両映画の登場人物と同じだ。状況に流されるままに信じられねぇことまでする。
我々は自分の欲望を果たそうとする。不可解な現実を理由に都合の良い判断をする。そして、新たに不可解な現実を構成する。
この繰り返しが作り出す悪化に歯止めが利かない。現実は淡々と展開する。

世は明らかに正しい方向に進んではいない。そもそも正しいとは何だ、想像できないではないか。
理想的な未来など想像できない。
そんな我々には平和と満足の両立、自由と平等の両立など実現できるわけがない。
現実的な未来像は想像できない。しかし展望は暗い。そしてそのことがますます我々の欲望を刺激する。

なぜか。

全てが偶然の産物だったら、こう悪くなることもあるまい。

すべては罪が原因なのだ。

せっかく神様が我々人類に最適な世界を下さったのに、我々は正しい言動を選択できない。
このことに全てが起因している。

まさに我々は生きるためと言う理由だけに、信じられねぇことをする。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。(ルカの福音書23章34節)

十字架上でのイエス様の祈りである。イエス様のとりなしの祈りは、我々のためである。

天むす

昼食

一平ちゃんと080125_11520001 おにぎり2個

天むすかー。いいねー。

2008年1月24日 (木)

子供

レビ記4章、歴代史第二18章、雅歌3章、ゼカリヤ書3章、マルコの福音書10章、コリント人への手紙第一9章、マタイの福音書4章23-25節(Clay)を読む。

子供について考える。

イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
(マルコの福音書10章14-15節)

三男はまことにこのように神様を、イエス様を信じた。
以前、罪人の話を車でしている時に、三男は自分が罪人であることに動揺している様子であった。しかし、その後まもなく、”自分は信じている”と告白した。
確かにうれしかったが、それよりも”すごい”とその時は思った。

子どものように神の国を受け入れ”、大人のように振舞うなんて事ができるのだろうか。
そんな風に思ってしまう。

物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。(コリント人への手紙第一14章20節)

ここはよくわからない。
”異言”とは外国語?ぐらいにしかわかってないので、本当によくわからない。
ただ、こう書かれているということは、みんなそうなのかもしれない。
学びを聞いていて、”こうありたいものです。”と言われると、”無理”と反発したくなる。(大人気ないなー)

話は変わるが、子供たちを見ていると、彼らは私の持っていない、欲しかったものをみんな持っている。
スポーツ、音楽、語学、勉強、ゲーム、ラジコン、、、忍耐、寛容、友情、愛、、、
私が一流になりたいと望んで試した物を、子供たちが分担して持っている。
私にとっては、うらやましいというより、あきらめが付いた感じである。

これで良い。

燃費11005.0km

080124_15350001 169.6km÷6.06L=28km/L
しょぼん。

レッドバロンで駐車中にガソリンが漏れてたぞ。
満タンピタピタにすると漏れんのかな。

GAS Jeans

西宮のKUSHITANI PRO SHOPへ行く。

SINGLE JACKETⅡを見る。
なかなか良い。無難な作りである。
襟が妙に気にいらない。なんかきっちりしすぎな感じがする。
これも着込んでいくうちに、味が出てくるのかなと思い、購入意欲満々になる。
サイズがない。黒のL、、、そうそうに売り切れたらしい。
次回入荷は月末。ネットオーダーするか。

帰宅中にHarley-Davidsonのマークを発見。
見たことのある革ジャンメーカー名が店先に書かれている。
TRIKE JAPAN KOBE ECO RIDEと言うお店。
何台かのハーレーと2台のスズキ・スカイウェイブ・トライクが置いてある。
その片隅にアパレルをやっていた。

カドヤ、デグナーをカタログで取り扱ってる。
Schott がディスプレイされている。

そして、GASと言う初耳のブランドを発見。

Honda_diablo_44_8001_medium GAS-HONDAのコラボ革ジャン
めちゃかっこいい。思わず衝動買いしそうになる。
ユーズド加工の良し悪しが気になるのと、そもそもGASってどうなんだろうと思い。
帰って調べてから、と踏みとどまった。
パッチの無いMサイズが欲しい。在庫確認をお願いする。

GAS Jeansと言うらしい。日本ではあまり知られていないイタリアのブランドのようだ。

この革ジャン490.00 €である。って77,647円。
80,000円がいいところだろ。

5℃

080124_13140001 5℃

革ジャンを見に行く。

雪降ってますがな。(+_+)

2008年1月23日 (水)

滅私

レビ記3章、歴代史第二17章、雅歌2章、ゼカリヤ書2章、マルコの福音書9章、コリント人への手紙第一8章、マタイの福音書4章11-22節(Clay)を読む。

自分を捨てる。私欲を捨てる。私情を捨てる。これはつまずく。

ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。(コリント人への手紙第一8章13節)

私も肉を絶つのであればできそうである。でも、バイクをあきらめることはできない。

パウロがこのように言い切れたのは、肉を食べることがパウロにとって嗜好でも重要でもなかったからだと思う。
できる範囲での配慮を訴えているように思う。

やりたいことを兄弟姉妹のために我慢するのはやはり辛い。いっそうのこと縁を切りたいと先走った考えが浮かんでくる。これこそつまずきだ。

固執していなければ、自分を律することができる。
固執していないのは、イエス様の故に、思いを洗い流したからである。

”キリストにはかえられません”

つまり、固執こそが”弱い良心”であり、固執している自分こそ”つまずきとならないように気をつけられるべき弱い人たち”のひとりなのだ。

2008年1月22日 (火)

髄内釘

私の左下腿と右大腿には髄内釘と言う棒が入っている。一本あたり3つのスクリューで骨と固定している。
この髄内釘を抜いて一ヵ月後に治療終了となり、その時点で残っている障害が後遺障害になるらしい。

今日もレントゲン撮影。
骨折線(骨の接合個所)がぶっとく写っているので、まだ抜けないそうである。
”抜いても良さそうだけど、まだ怖いですね”と言われた。

髄内釘と骨を固定しているスクリューが一本折れているのが発覚。
10月30日のレントゲン写真で既に折れている。10月30日を含めて3回目のレントゲン撮影である。
一瞬、バイクで転倒したのが原因か、と頭をかすめる。いや、転倒は11月だ。じゃ、なんで?心当たりが全くない。
”髄内釘がずれるのがまずいんですよ”と聞いたのを思い出し質問してみる。
”ずれたんならスクリューが全部折れるはずなので、たぶん金属疲労でしょう。”とのことである。
このままのようだ。

次回は3月4日。ぶっとい骨折線は消えるのだろうか。経緯から察するところ無理だろうと思う。

”2、30分、立ったり歩いたりすると痛み出すんですが、じっとしていたほうがいいんですか?、それとも我慢して歩いたほうが良いんですか?”と聞いてみる。
”痛むのは避けたほうが良いが、加重かけたほうが良いです。”

よく判らん。

直るなら直る。時期が来れば直る。ってとこか。

待つ

080122_09590001_2 ”診察が中断しております”
中断も何も先生が来ていないような気がするのだが。

隣のおじさんが爆発しそうである。

1時間遅れで診察スタート。(-.-)

2008年1月21日 (月)

革ジャン

明石の心療内科に薬をもらいに行った帰りにBE-LANDへ行く。ここはクシタニ神戸店になっている。革ジャン物色である。

結構、色々なブランドを扱っているので少し驚いた。
カドヤ、Simpson、もちろんクシタニ。革ジャンはなかったがSchottのジャケットも扱っていた。JRPのグローブも各種あるではないか(ネットオーダーでしか買えないと思っていった)。
ただ、いかんせん品揃いとサイズバリエーションがない。

そんな中、ピピっとくる物を発見。値札も商品タグもないのでブランドがわからない。
とりあえず携帯でカシャっとな。
080121_11420001 デグナー
家に帰ってググって判明。

値段的にも手ごろである。ただ、腕回りが太かったのが気なる。
うーん、もう一歩。

クシタニプロショップは西宮にあるんだ。こんど行ってみよ。

整形外科

レビ記2章、歴代史第二16章、雅歌1章、ゼカリヤ書1章、マルコの福音書8章、コリント人への手紙第一7章、マタイの福音書4章1-11節(Clay)を読む。

明日は病院である。

アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。(歴代史第二16章12節)

たぶん入院している時にもこのみことばを読んだような気がする。
このみことばと関係なく、医者により頼んではいない。整形外科とはそんなものである。自然治癒に完全丸投げが実情だからである。
つまりは自然体に主を求めることになる。良い病気だ。

彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、盲人を連れて来て、さわってやってくださるようにイエスに願った。
イエスは盲人の手を取って村の外に連れて行かれた。そしてその両眼につばきをつけ、両手を彼に当ててやって、「何か見えるか。」と聞かれた。
すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます。」と言った。
それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。
(マルコの福音書8章22-25節)

イエス様に病気を癒される人には共通の背景がある。

  • 病気である。
  • 癒してもらいたいと思っている。つまり、困っている。
  • イエス様は癒せるという信仰を持っている。なければ来ないだろう。

奇跡に着目するより、この背景に着目すべきである。
病気の持つ負の要素が、幸いに転じる。
イエス様は病気を癒された時に”あなたの罪は赦されました”と仰る。これは背景にある信仰が実を結ぶからである。

2008年1月20日 (日)

今朝、起き抜けから脚が痛い。
骨折箇所と大腿骨の付け根が痛い。

集会パス。

昼に痛み止めを飲む。

今度は脛の骨折箇所が気色悪い。

たまらん。何にもする気がしない。

確定申告

私は無職(疾病のため労働不能)で年収0円。
家内はあれこれ年収(所得ではない)100万円。
これだと確定申告は要らない。と、税務署で確認する。

一番気になってた住民税は市役所に改めて申告すればよいそうだ。

住民基本台帳カードe-Tax、なんだったんだろうか。

2008年1月19日 (土)

知識のことば

レビ記1章、歴代史第二15章、伝道者の書12章、ハガイ書通読、マルコの福音書7章、コリント人への手紙第一6章、箴言23章12-14節(Clay)を読む。

もう、若くない。

耳を澄まして聞き取ろうとするが、頭の中を通り抜けるように言葉が過ぎ去っていく。

あなたは訓戒に意を用い、知識のことばに耳を傾けよ。(箴言23章12節)

何を読み取ればよいのかわからず必死になるが、言葉が過ぎ去っていく。
しかし、ふと気づくと心に染み入るように伝わることもある。

聖書を読むときは、知識の言葉を蓄えて、神様を、イエス様を、自分自身を、もっと知りたいと思う。

実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。(伝道者の書1章18節)

知らないから悩まなくて、悲しまなくて済んでいることも多くあると思う。
確かに、知って何のいいことがあるのかはよくわからない、は正直なところである。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(伝道者の書12章1節)

ここでの年月は年齢のことを言っているのだと思っている。
実際に体力、精神力、好奇心、どれも衰え、”「何の喜びもない」と言う年月”を近くに感じる。
知恵や知識が増し加わることが自分にとって良いことなのか、ますます疑問に感じる。

すべては活動的な若さにあって、有意義なのだろうとも考える。

では若さを失って、もはや何が残るのだろうか。

正しくありたい。

正しくあると、この世的には損をする。でも正しくありたいと思う。
人生において、今の欠乏や、今の損失が何の意味を持つのか。
そんなことより、神様がそれでよいとしてくださること、神様が報いてくださること、神様が必要を満たしてくださること、困難に陥ったときに万軍の主である神様により頼むことができること、このことが最上の慰めであり、励ましであり、平安である。

これで十分ではないか。

若い日に、あなたの創造者を覚えよ”このことばはそのまま受け入れるのが良い。

2008年1月18日 (金)

主の日

出エジプト記40章、歴代史第二14章、伝道者の書11章、ゼパニヤ書通読、マルコの福音書6章、コリント人への手紙第一5章、マタイの福音書4章1-2(Clay)を読む。

神様がこの地を滅ぼされる日は必ず来る。

わたしは必ず地の面から、すべてのものを取り除く。――主の御告げ――
わたしは人と獣を取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。わたしは、悪者どもをつまずかせ、人を地の面から断ち滅ぼす。――主の御告げ――
(ゼパニヤ書1章1-2節)

平和な過去がこのことから目をそらさせる。
明日も、今日の延長線上にあり、同じように過ぎ去ると思ってはいけない。

神である主の前に静まれ。主の日は近い。主が一頭のほふる獣を備え、主に招かれた者を聖別されたからだ。(ゼパニヤ書1章7節)

既に人選は終わっている。”主に招かれた者”とは、イエス様を信じて救いを受け入た者のことだ。”主に招かれた者”に加えられなければいけない。

陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。
(ローマ人への手紙9章21-22節)

神様は忍耐して待っておられる。
滅んではいけない。

主の日がいつかは決められている。その日がいつかは誰も知らない。

e-Tax

新しいICカードリーダライタが到着したのでe-Taxに挑戦する。

080118_10200001 シャープICカードリーダライタRW-4040

”HJS0407EICカードを認識できませんでした・・・”って

  • JPKI利用者ソフトを動かしてみる。

”予期せぬエラーが発生しました。”となる。

ユーティリティ-ICカードリーダライタ設定を見ると、RW-4040を認識しているが、選択していないので、選択する。

  • 再度、JPKI利用者ソフトを動かして、動作確認。
  • ”自分の証明書”を押下

両方OK

”利用者識別番号または暗証番号に誤りがあります。”(T_T)もういや。

  • e-Tax開始申請時の暗証番号(8桁以上)があったことに気付く。入力。OK
  • 納税用登録番号(任意の6桁・・また番号おぼえるのか)とカナ氏名を入力
  • step3 作成・送信しよう!
  • ・・・・・

”利用する作成コーナーを選択してください。”って、どれなんだ。
税務署に行って聞いてみよう。

2008年1月17日 (木)

Yahooオク

Yahooオクに出品してみる。

ちょっとどきどきする。

休養7

出エジプト記39章、歴代史第二13章、伝道者の書10章、ハバクク書通読、マルコの福音書5章、コリント人への手紙第一4章、マタイの福音書3章13-17節(Clay)を読む。

2008年1月16日 (水)

住民基本台帳カード

電子証明書付きの住民基本台帳カードを作成する。

080116_17070001 住民基本台帳カード
ICチップが埋め込まれている。

インターネットで昨年度の確定申告をするにあたり必要になった。
区役所に行って申請、しばらく自宅待機、発行の通知が到着、区役所にて住民基本台帳カードを発行、ICチップに個人情報を登録の流れになる。

住民基本台帳カード発行料金500円とICチップへの個人情報登録手数料500円が費用としてかかる。

080116_17080001 クライアントソフトCD
公的個人認証サービス利用者クライアントソフトをくれる。
何に使うのか今のところ不明。

080116_17410001 PaSoRi
非接触ICカード リーダー/ライター
Amazonにて2,565円で購入。

早速、e-Taxに挑戦してみる。
事前に”開始届出書を納税地を所轄する税務署に提出して、利用者識別番号を取得”までは実施している。

・・・・・・結構、面倒くさい。

ここでJRE(Java実行環境)が無いとエラーになる。

  • Sun Developers HomeからJRE(Java実行環境)のインストール
  • スタート-プログラム-公的個人認証サービス-ユーテリティ-Java実行環境への登録を実行

こんどは”予期せぬエラー”とな。
無視して進める。

  • FeliCaポート自己診断を実施

携帯はOK、住民基本台帳カードはNG
やばい、製品を誤った予感。

やっぱりエラー。orz

FeliCaポート/パソリサポートに以下の通り記載されてたりして。(・o・)

※本製品は、住民基本台帳カードのサービスには対応していません。ご利用される方は、別途、対応したリーダー/ライターが必要となります。

実存

出エジプト記38章、歴代史第二12章、伝道者の書9章、ナホム書3章、マルコの福音書4章、コリント人への手紙第一3章、マタイの福音書3章11-12節(Clay)を読む。

全ての人は同じことを経験するのではないかと、うすうす気付いていた。

すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。(伝道者の書9章2節)

今、持っているか、持っていないかは重要な違いではない。欠乏を経験することが体験であり、人生の分岐点である。そこで人は選択をし自分の人生を構成していく。

お金、物、権利、義務、心身的健康、これらを持っていることを望んだり、持っていることに安心したりすることは意味がない。持っている量に関わらず欠乏は平等に訪れる。
今のおかれた状態で、状況にどう反応するかに違いが現れるのだ。

しかし、それら行為の積み重ねの行き着く先は死である。死によって全ては無に帰す。
つまり、行為に意義を見出すことはできない。そもそも意義など無いが正しい。

人生においては実存していること意外に真理は無い。
なぜ、実存しているのかのみが意味を持っている。
実存は選択の結果ではないので、何らかの意思が働いた結果である。

実存を偶然と仮定することはできるが、それは意味を見失わせるための卑劣な意思である。

実存に意味があることは自己を見つめると理解できることである。
愛、善悪の境界がそこにある。

2008年1月15日 (火)

機織

出エジプト記37章、歴代史第二11章、伝道者の書8章、ナホム書2章、マルコの福音書3章、コリント人への手紙第一2章、箴言23章9-11節、マタイの福音書2章19-3章10節(Clay)を読む。

私はオートバイに乗るのが好きだ。
目下の楽しみは、景色にハッとして”こんな景色を見たかったんだ”と体験すること、メンテナンスによる燃費と性能の向上、そして運転技術の向上である。
このことに思いと時間を費やしている。
しかし、満足することは一度もない。いつも何かしら不満である。

さて、では何か満足を得ているかと言うと、この服が欲しい、このうまそうな物を食べたい、あれしてこれして達成したいと望むが、一向に満足、これで充分の域には到達しない。
過去において試したことを数え上げるときりがない。音楽、スポーツ、娯楽、、、趣味と言う物はどれもだめである。
そして今は頭の中で想像できることを望んでみても、それを達成しようと実際の行動を取らない。面倒なのである。寒し、しんどいし、どうせ挫折するし、などの負の要素が思い浮かんできて躊躇してしまう。
得ても決して満足しないだろう、果てしのない欲望が次から次へと浮かんでくるだけだろう、と言う体験から、あきらめているのである。

私は”目が見たことのあるもの”、”耳が聞いたことのあるもの”、つまり”人の心に浮かぶもの”、これは人に満足を与えないと結論してしまっている。

何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。 (伝道者の書8章7節)

この通り(このことを否定するひとはいないだろう)、これが私の人生の前に立ちはだかっているのである。”何が起こるかわからない”。
”だから人生は楽しい”と言うか。
私にとっては”だから不安で不安でたまらない”だった。仕事で思い巡らし眠れない日が何度あったか。ああなったら、こうなったら、無数の分岐をシミュレーションできるほど頭は良くないのだ。
楽しみなんて入り込む余地がない。
このことも、新しいことに踏み出すのを躊躇する一因となっている。

悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。(伝道者の書8章11節)

犯罪はともかく、私には悪い思いや流れに乗った行為に規制がかからない。
損得勘定からくる不正の選択がいつも頭の中で優先順位の上位にある。嫌なものは嫌だ。迷惑な他人を目の当たりにすると、つい悪口が出る。車を運転中に無理な割り込みをされると、腹が立って無茶な運転になる。

嫌になる。
だから、こんなことを考えないように何かに熱中していたい。でも、めんどくさい。依存症になったらどうしよう。
一念発起して実行に移してもいづれ何事もなかったように終わってしまう。実態は辛くて苦しいだけである。
手から水が漏れるように色々なことが過ぎ去ってしまう。時間もそうである。ただ過ぎ去っていく。
そしてまた考え込む。この悪循環から抜け出せない。

そんな私は特殊なのだろうか。そんな風に考えてしまう。
”なぜ生きるのか”、論点をはっきりさせるために言い換えると、”何を求めて生きているのか。”
これさえあれば幸せと言う人がいれば実にうらやましい。

私は満足を得ない、不安でたまらない、許容できる自分像がない、そして有り余る時間、これらのことがこの”何を求めて生きているのか。”に目を向けさせる。
有り余る時間の点で私は特殊である。
以前はこんなことで思い悩むほど考え込んだことはないように思える。とにかく行動していた。

私は快楽を賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。(伝道者の書8章15節)

労苦の時間が惜しくて労働を辞めたが、労苦に添えられている楽しみを失ったようである。
何も楽しむことが無くなったから、何もする気がせず、有り余る時間を持て余し、人生のあり方に不満が爆発したようである。
皮肉である。

これで終わりなのだろうか。このまま余生を送るのだろうか。本当にわからない。

所詮、人生は労苦か快楽の放棄かの選択なのだろうか。
ただ生きていくことにおいてはそのようであるから、選択しないといけないようである。

罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。
悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。
(伝道者の書8章12-13節)

罪人と神を恐れる者、この対比が聖書を貫いている。
子供のころから知っている単純な対比である。あまりに単純すぎてすり抜けてしまう。
重要な意味があるようで、ピンと来ない。そのぐらい私は自分の置かれている立場がわかっていない。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」 (コリント人への手紙第一2章9節)

神を恐れる者つまり神を愛する者の受ける恵みの本質に着目することができる。
見たことも、聞いたことも、心に思い浮かんだこともないもの、つまり人知をはるかに超えたものが必要なのだ。

なぜなら私は何も知らない。

私は人生に満足することはない。”何を求めて生きているのか。”の答えが無いのだ。
私は自分自身の本質を知らない。また、自分のおかれている立場も知らない。
ただ、不満な状態であることを知っているだけなのだ。そこから抜け出そうと考える。そして行動を起こす。それが人生を構成している。
しかし、そうして織り出される人生の絵柄は無秩序ではないのであろうと思えてならない。最後には見事な絵柄がうまれるのであろうと考える。
振り返って、無駄だと思われた物が意味を持った瞬間がある。
人知をはるかに超えている。

私はこのことを知っていることに望みを持っている。
人生は退屈で、もう生きたくないと思うほどに意味を見出せない。しかしこの望みがあるので絶望しないのである。

しかし苦しい。

2008年1月14日 (月)

新春合同学び会

080114_110900010001_2 "伝道"をテーマに学びを受ける。

  1. 「子供伝道を通して教えられたこと」森川兄弟
  2. 「四国伝道を通して教えられたこと」岡田兄弟
  3. 「タイ宣教の導きについて」金兄弟
  4. 「海外宣教を通して教えられたこと」金兄弟

壇上で語られていることが、自分の信じてることと反することがある。食べる人と食べない人か。

食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。(ローマ人への手紙14章3節)

多様、しかし、神様は一つ。これが真実なのだ。

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い(コリント人への手紙第Ⅰ1章25節)

そして、自分に欠けているのは、滅びて行く人が実際に居ることを認識していないことだと知る。

まさに学ぶ時である。

2008年1月13日 (日)

XLR125R整備終了その2

終了その2ってなんだよ。
XLR125Rの整備は新品化となり、残すところフロントフォーク、エンジン、リアサスペンション、バッテリー、フロントディスクブレーキである。が、もう勘弁して欲しい。

今回は、
080113_18050001  ハンドル周り

080113_18050002ホイールベアリング、ブレーキシュー、チェーン、スプロケット前後

しめて部品代52,273円+工賃17,955円

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2008年1月12日 (土)

ピアザKOBE

革ジャンを物色しに、三宮高架下を徘徊する。

お目当てはSchottのライダース。どこに取り扱い店があるのかわからないので、聞いてみるが、服屋さんに聞くと当然のことながら知らないと言われる。では金物屋さんならどうかと伺ってみるとガイドマップをくれた。聞いたところから推察するに、三宮駅に近いほどグレードが高いようである。

080112_18040001 ガイドマップ

ピアザKOBEと言うのか。初めて知った。

Schott_classic_racer_jacket Schott Classic Racer Jacket
これいい。ヽ(^。^)ノ この薄テロ、ピッタッとが良い。
革ジャンなんて暴風効果しかないんだから薄いほうが良いと思う。
Huntington Garageにて悩んで衝動を抑える。

やっとのことでNYLON神戸本店到着。三宮駅西口から入ってすぐじゃない。
BUCOの馬革シングルライダーズは確かに良いが高過ぎ。

2時間近く歩き回ったので足が痛い。

ブーツ修理

ブーツの修理が終わったそうなので、MaxFritz神戸に引き取りに行く。

080112_17320001_2 メダリオンジップアップブーツ

2回の転倒で両足爪先のカップが変形していたので取り替えてもらう。
金属性だと思ってたら、厚手の革らしい。

なぜかタダでした。ありがとうございます。
お気に入りのブーツなので良かった良かった。

店頭にて写真を取っていただく

燃費10,835.0km

080112_12510001 117.5km÷1.5L=78.3km/L

誰かガソリン入れたのか。トッリプメータ戻し忘れたのかな。

2008年1月11日 (金)

宣教

出エジプト記36章、歴代史第二10章、伝道者の書7章、ナホム書1章、マルコの福音書2章、コリント人への手紙1章、マタイの福音書2章16-18節(Clay)を読む。

1月22日にメッセージを担当する。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。(コリント人への手紙第一1章21節)

宣教のことばの愚かさ”、この表現が好きである。事実、何を語るのが適切なのかはわからない。

どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
(マタイの福音書10章19-20節)

私の務めは神様のことばをお取次ぎすることである。ただ示されることを語ればよい。
とはいえ、何の準備もしないのはせっかくの機会を無駄にしてしまいそうで恐ろしい。
不信仰なのであろう。弱さである。だから事前にことばを頂いて平安を保つのだと考える。

そうだ不信仰は弱さである。だから怖くて神様にすがる。
良いことだ。

2008年1月10日 (木)

出エジプト記35章、歴代史第二9章、伝道者の書6章、ミカ書7章、マルコの福音書1章、ローマ人への手紙16章、マタイの福音書2章4-12節(Clay)を読む。

恐怖はそこかしこに有る。恐怖は妄想となって襲い掛かり、人を支配下に置こうとする。
恐怖は正しい判断を奪い取る。恐怖は追い詰める。恐怖は心を絞るように締め付ける。

恐怖は悪の武器の一つである。悪は恐怖と誘惑を持って働きかける。
悪は人を破滅に導く。

悪に打ち勝つことは人生の命題である。

平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。(ローマ人への16章20節)

あなたがたの足で”とある。私が踏み砕くのだ。
神様が取り除いてくださるのではない。私に勝つ力を与えてくださる。

恐怖と共存することはできない。誘惑を避けて通ることはできない。
悪を打ち負かすことが必要なのだ。

その希望がある。約束されている。

2008年1月 9日 (水)

労苦

出エジプト記34章、歴代史第二8章、伝道者の書5章、ミカ書6章、マタイの福音書28章、ローマ人への手紙15章、マタイの福音書2章4-12節(Clay)を読む。

自分の労苦を喜ぶ。

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。(伝道者の書5章18節)

振り返って、自分がそうであったのかわからなくなってしまった。
労苦の内にやりがいを見出していたような気がする。仕事の後のほっと一息がそうか。終わらぬ労苦を走り抜けていたことそのものがそうか。

今、まったく労苦がないので、喜びがないのかもしれない。
いや、あたまりまえのことのように思っていただけのような気がする。

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6章8節)

ここに在り方を見出す。自分とは程遠い憧れであるが。

明らかに変化が起こっている。

2008年1月 8日 (火)

存在している者

出エジプト記33章、歴代史第二7章、伝道者の書4章、ミカ書5章、マタイの福音書27章、ローマ人への手紙14章-15章13節、マタイの福音書2章1-3節(Clay)を読む。

何をして生きたら良いのだろうか。
この質問の答えはない。
では、なぜ生きるのだろうか。
ただ時間だけが過ぎていくのを待つのはなかなか辛い。
さりとて何かをしても意味を見出せないのは、ただただむなしい。

私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。
また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行なわれる悪いわざを見なかった者だ。
(伝道者の書4章2-3節)

私は”存在しなかった者”ではない。
私は今、生きている。
自己の存在は自分自身で選択したのではない。であるから、これを否定するのは罪である。

すると、目の欲するままに進んで、罪はない。もしかしたらこういう者ではないのだろうか。

私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 (ローマ人への手紙14章7-8節)

このように生きることができるようになったのだ。ここに信仰を持つことが秘訣のようである。

主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。 (ローマ人への手紙14章14節)

パウロも悩んだようである。そして、自然体であることの正当性を見出している。

あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。(ローマ人への手紙14章16節)

人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。(ローマ人への手紙14章20節)

しかし、せっかく思い立ったことも、関係が迷いに引き込む。他人と関わりたくない、一人でいたい理由である。
おかれた立場も自分の選択したものではないので、否定してはいけない。これもまた罪である。
関係を絶つことはできない。こんな時に”存在しなかった者”であったら良かったのにと願う。まさに罪である。

クリスチャンの余生とは、

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ人への手紙7章24節)

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章24節)

ただただ感謝である。

結局のところ、私は既に目標を達成したので、生きることに行き詰っていることになる。
つまり、何をするにも私自身の目には意味を見出すことはできない。
意味があることを信じることだけである。先に見たとおりこれが秘訣である。しかし、体得することができない。だから、辛い。

肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。(ローマ人への手紙8章4節)

これは私の選択ではない。私にできることではない。恵によっていただいた事実なのである。

もし、明日があるなら、何をしようか。否、何が起こるのだろうか。

2008年1月 7日 (月)

オイル交換

燃費悪化が目下の悩みの種である。

オイルを疑う。
駐輪場にオイルのしみがある。ちょうどドレンボルトの真下に思える。漏れたか。
オイル量をフィラーキャップで確認したところ先端にオイルが付いていない。やばいなー。
ちょっと早いがオイル交換に踏み切る。
080107_16010001 Castrol POWER1(1,659円)
どれが良いのかわからないので、店員さんに勧められるままに選択。
性能レベル:JASO MA 粘度:10W-40 タイプ:部分合成油 とある。

オイルを抜く
080107_16430001 オイルパックリ 2L
結構汚い

オイルを注入。一回に1Lで一缶調度だからオイルジョッキも要らないし、途中確認も要らないので、楽チンである。
再度、オイル量を測定すると、やっぱりフィラーキャップ先端にオイルが付いていない。(?_?)

ネットで調べまくったところ、”車体を立ててオイル量の確認。”とな。
他にも”オイルの量は水平な場所で車体を垂直にした状態で確認する事。”とある。
常識ですか。そうですか。\(◎o◎)/!
試しに車体を立ててオイル量を測定するとアッパーレベルまで付着していた。
しかし、リッターバイク等300kg級のバイクだと大変ではないか。

オイル交換は12,000kmでする予定だったので、前回いいオイルを入れていたこともあって損した気分である。

ついでにチェーンをチェックする。
遊びは見た感じ適切だが、後輪を空転させると重い感じがする。
チェーンルブを塗布。
かなり軽くなった。

でもこれでリッター10kmも燃費が悪くなるとは思えない。(T_T)

080107_17200001 10,811.3kmでのできごと。
次回のオイル交換は14,000km。

Higher Power

出エジプト記32章、歴代史第二6章、伝道者の書3章、ミカ書4章、マタイの福音書26章、ローマ人への手紙13章、マタイの福音書1章18-25節(Clay)を読む。

人は神様から離れて、迷い出て、困難に陥り、立ち返るものようである。

Higher Power

私は断酒の戦いに勝てないのを悟った時、神様に再会した。

民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」 (出エジプト記32章1節)

この一節は神様から離れる→偶像の構図を要約して書いている。”神を、造ってください。”とは字面から判断するところ、大いにばかばかしいが、八百万の神々はまさにこのことの表れであろう。現世ご利益的信仰と言うらしい。

あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天からこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。(歴代史第二6章21節)

これは宮の建設を完成させたソロモンの祈りである。この祈りには、もしこんなことになったらと、困難に対する解決の願いが7回出てくる。主旨は”もし神様に立ち返り、神様により頼むならば、助けてください”である。

神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。(伝道者の書3章18節)

人は自分の無力さを思い知るために困難に遭うのだ。人はそれほどに高慢なのである。
辛い境遇は決して行いが悪いからではない。因果や業などはない。

現世ご利益的信仰は人の本質である。”困った時の神頼み”と言うではないか。

皆がHigher Powerを待ち望むように創られている。そして多くの人がHigher Powerを見出せないで思い悩んでいる。また、偽者のHigher Powerが多すぎる。

天地を創られた方こそHigher Powerである。
神様は仰る。

なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。わたしの手が短くて贖うことができないのか。わたしには救い出す力がないと言うのか。(イザヤ書50章2節)

2008年1月 6日 (日)

礼拝

出エジプト記31章、歴代史第二5章、伝道者の書2章、ミカ書3章、マタイの福音書25章、ローマ人への手紙12章、マタイの福音書1章1-17節(Clay)を読む。

礼拝にて、

神様がどのように見ておられるのかは想像できない。

神様が喜んでおられるのは信仰によって知る。

自分がどう参加しているかは問題ではない。

自分がどう感じるかは意味がない。

2008年1月 5日 (土)

兵庫県東部

兵庫、大阪、京都を又にかけてツーリングする。
途中、林道入り口を二ヶ所を発見。

本日のルート(GoogleEarth)→「20080105.kmz」をダウンロード

午前中と日が落ちてからは寒い。しばらく冬眠するか。
バイクの整備とルートの準備が良かろう。

080105_09190001_2 ガエルネED-PROライディングブーツ
脛と足首が不自由でシフトチェンジを失敗する。かなりイラつく。

080105_09190002_2 JRPのグローブとグリップヒータ
この組み合わせでも指先が痛い。厳寒期は無理か。

新しいタイヤは側溝の縦溝でタイヤを取られるは、シフトダウンでスリップするはで怖い怖い。
ワインディングでのバンクは少しずつ慣れてきた。最後はイケイケである。いずれこけるであろう。

続きを読む "兵庫県東部" »

燃費10805.6km

山道がなかったので、試しに確認。

080105_17410001 88.0km÷3.58L=24.6km/L

終わった。絶対にどっかが壊れてる。

燃費10717.5km

やっぱり延びない。

080105_15270001 181km÷6L=30.2km/L

登り坂で息切れする。かぶってるような感じもあるぞ。

燃費10536.5km

もうガス欠?

080105_09480001 160.7km÷6.03L=26.7km/L

悪すぎ。
転倒でこぼれたからか。1Lこぼしても32.14km/Lだぞ。すごい悪すぎ。

幾人でも

出エジプト記30章、歴代史第二4章、伝道者の書1章、ミカ書2章、マタイの福音書24章、ローマ人への手紙11章、箴言23章6-8節(Clay)を読む。

伝道に対する熱心さが自分には欠けている。
自分の受けた幸いを喜んで入るが、自分が特殊なように思えて自分を恥じている。
つまり右に行っても、左に行っても満足を得ない。悲しいことである。

その中の幾人でも救おうと願っているのです(ローマ人への手紙11章14節)

パウロの熱心さである。
自分もこうありたいと思う。どっちつかずな在り方は嫌だ。

このことを通して、自分に愛がないことを知る。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。(マタイの福音書24章12節)

このことはよくわかる。今の世相をよく言い表している。
では、よいものに満たされたのであれば、愛は暖かくなるのが筋というものではないだろうか。なぜ、自分はこうはならないのか。
自分を一歩先に進ませないものがあるようだ。

神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。(ローマ人への手紙11章32節)

わたしも神様のあわれみを受けるために不従順のうちに閉じ込められているのだと理解する。
今は開花するときを待つか。

2008年1月 4日 (金)

酔払い

出エジプト記29章、歴代史第二3章、箴言31章、ミカ書1章、マタイの福音書23章、ローマ人への手紙9-10章、アモス書4章6-6章14節(Clay)、詩篇103篇(Clay)、創世記1章1-5節(Clay)を読む。

2日、3日と一泊二日で私の実家に帰っていた。
2日の夜は正月の宴会騒ぎである。みな酔っ払っている。

酒の席は久しぶりであった。酒は飲みたいとは思わなかったが手持ち無沙汰な感じである。
酔払いが騒ぐのを見ていて思った。”酒止めてよかった”、正しくは、”酒から開放されてよかった”

深酒は明らかに人生を無駄にしている。

よっぽどのことがない限り、”人生を無駄にしている”なんて思わない。なぜなら今の意味を正しく理解できないと考えているからである。

しかし、深酒は明らかに人生を無駄にしている。

酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。(エペソ人への手紙5章18節)

確かに放蕩すると思う。
頭を麻痺させることに積極的になっているのだから当然である。

酒との格闘も終わったようである。感謝である。
次は何から開放されるのだろうか。楽しみだ。

まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。(アモス書5章4節)

とある。

2008年1月 3日 (木)

函館市場

ちょっと高級回転寿司を食す。

080103_21130001 皿の色で値段が決まっている。
金588円、白504円、黒336円、オレンジ252円、緑189円、赤158円、黄105円

金×1+白×1+黒×4+オレンジ×18+緑×7+赤×11+黄×6
+ポイントカード100円=10,763円(by4人)

オレンジをたくさん取る傾向があるようだ。戦略があるように感じる。

笥卯努区

数独解読プログラムの開発の続き。

バグを発見。

Fixする。→「sudoku.xls」をダウンロード

三が日を数独に費やす。

崇弩苦

数独解読プログラムの開発の続き。

朝、なんのけなしに眺めていたら、バグを発見。

できてしまった。

アップロード汁。→「sudoku.xls」をダウンロード

使うよろし。

2008年1月 2日 (水)

吸う毒

数独解読プログラムの開発の続き

一通り作ってみたが。デバッグ中。

前半の思いつきでコードを書いた部分が悔やまれる。

作り直すか。

2008年1月 1日 (火)

数毒

数独解読プログラムの開発に一日没頭する。

コードをきれいにしたら、バグ多発で昨日よりも悪い状態になってしまった。

ちゃんとデザインしていないから、デザインが悪いのかコーディングが悪いのか解らない。

暇つぶしーな一日であった。

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