« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007年12月31日 (月)

数独

朝から思い立ったようにプログラムを書く。

数独をExcell VBAで解けるかに挑戦。
071231_22350001 BICYCLE(トランプ)のおまけ

正月をつぶせそうである。こんなに寒い時は何かに没頭するにかぎる。

2007年12月30日 (日)

死の理由

なぜ十字架なのか。
全能のお方がなぜ一人子を犠牲にしないといけなかったのか。

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。(ヨハネの手紙第一3章16節)

愛がわかった”とある。
この方法でしかわからないのだろう。

人として、生きている間にこのみことばを体験したい。

既に体験したのか。体験することはないのか。

わからないことが罪か。死んだ信仰か。成長か。

愛とは何か。

私は今日の直感を忘れない。

2007年12月29日 (土)

ヨナ(続き)

今日、手紙が来て、昨年の事故の決着が着いた。もう、私にすることはない。

神様がなぜ、このような展開にされたのかが解らない。さっきまでこの結果になるとは思っていなかった。しっくり来ない物がある。

神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」 (ヨナ書4章9節)

神様に死ぬほど怒っているわけではないが、胸の中がもやもやする。期待させておいてこの結果か、は正直な感想である。

聖書はこの後、こう続く。

主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
(ヨナ書4章10-11節)

確かにヨナが体験したのと同じようなことが、二つの事故を通して私に起こっている。
自分で労せず、自分の都合の良いように事が進まなかったことを惜しんでいる。全て必要な物は備えられているのに。

摂理

ヨナ

出エジプト記28章、歴代史第二2章、箴言30章、ヨナ書4章、マタイの福音書22章、ローマ人への手紙8章、箴言23章4-5節(Clay)を読む。

ヨナ書は預言書の中でも読みやすい。また、預言者ヨナの人となりが他の預言者と異なり実に興味深い。

主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」 (ヨナ書4章3節)

私もこの祈りをよくする。
死んだ後の希望に満ちた永遠を知っているので、今の(主に精神的に)苦しい状態から逃げ出したいのだ。

今の(主に精神的に)苦しい状態とは虚無との戦いである。生きる意味を見失い、見出せなくなった時に切に願う。
虚無に服する原因が自分のからだに染み付いた罪のせいだと知っている。
だから、

私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(ローマ人への手紙8章23節)

となるのだと考える。

ヨナ書全体を通して見て、逃亡者ヨナが自分と重なる。
弱くて、無知で、自分勝手な私。私は人を救うお手伝いにはならない。

2007年12月28日 (金)

。。。

出エジプト記27章、歴代史第二1章、箴言29章、ヨナ書4章、マタイの福音書21章、ローマ人への手紙7章、ルカの福音書5章8-20節(Clay)、アモス書3章1-4章5節(Clay)を読む。

頭痛中。

スピードメーターギヤーボックスASSY

これが昨日壊してしまった
071228_13570001 スピードメーターギヤーボックス 
部品代4,294円 工賃1,890円也

メカニックの人によるとアスクルシャフトの脱着の硬さは異常とのこと。
色々と見てもらう。どうも入り口付近が通らないようである。
調査の結局、ラジアルボールベアリングとフロントホイールディスタンスカラーの間に金属製のゴミが挟まっていることを発見。それが引っかかってすべりが悪くなっているようだ。
削ってもらって解決。すこすこシャフトが通るようになった。
前回、ベアリングを交換した時に挟み込んだようである。

ディスクの擦れは正常の範囲だそうである。よく見るとパッドの片減りもしていなかった。

”タイヤ交換したんですね”と聞かれる。”林道でパンクした場合のために練習がてらやってみました”と答えた。
見てもらって”耳もちゃんと出てますね”と言われる。。。。耳って何?
ビートとタイヤ側面の境界線がリムの端にきていることのようだ。

2007年12月27日 (木)

JRPのグローブ

JRPのグローブを購入。ウインターグローブである。

071227_19150001 DSW 14,490円

グリップヒータがあるが手の甲が寒いのに耐えられなかった。

このグローブ、手の甲を分厚くして、手のひら側は操作性を損なわないように薄くしてあるらしい。グリップヒータ対応だそうだ。good

ガイドどおり1サイズ大き目を購入。親指に1cm程隙があり、操作性は良いとはいえない。
使い込めば縮んでフィットするらしいが、それまで無事に使い続けることができるだろうか。

フィルムに透湿防水素材サイトスを使ってあるが、レイングローブではないと注意書きがある。とりあえずラナパーを塗るか。

タイヤ交換

思い立ったので保留にしていたXLR125Rのタイヤ交換をする。

071227_10000001 071227_10020001DUNLOP D604 つるつる

手順は単純だが、コツが要る。こんなの入るのかと思いながら試行錯誤していると、意外な展開で入ったりする。
例えば、

  1. タイヤをバルブが下になるように立てて、
  2. 頭でタイヤを支えて、
  3. 左手で思いっきり枠を広げて、
  4. 右手でバルブを穴に通す。

力まかせのポイントが多いような気がする。

タイヤレバーの使い方を獲とくしたぞ。チューブに傷つけないように、大胆に、手で広げられるところは思いっきり開いて、目で確認。曲がった方で一発目を固定して、まっすぐの方で順次進めていく。

試行錯誤の結果、たぶんホイルは傷だらけであろう。

パキ!アスクルシャフトといっしょにスピードメーターギヤーボックスが回転して、ボックスを壊してしまった。手で回転しないように押さえておかないといけないようであった。
明日、交換にしてもらいに行く。ついでにホイールアスクルが抜けないほど硬い原因と正しい対処方法も聞いておこう。
ディスクブレーキが擦れる理由もホイールハブを固定している位置のせいであろう。明らかにパッドが方べりしている。要交換。

071227_15370001 DRCミニフットポンプ(MINIFOOTPUMP)
これは優れものである。脚で押すのは不安定でバランス感覚の悪い私には無理だが、手で押しても充分に空気がさくさく入る。あっという間に空気満タン。小型のシングルポンプで充分。
携帯できるようにキャリアに縛りつける。

チューブは前後輪とも交換しなかった。後輪はきれいだったから。前輪はバルブ付け根がさびていたので交換したかったが、パンクさせてしまった。

071228_13580001071228_13590001

071227_17490001 10480.0kmでの出来事。

続きを読む "タイヤ交換" »

2007年12月26日 (水)

ラジコン

今日も三男はお伴でライトサーキットへ。
サンタさんからもらった急速充電器とバッテリを活用する。

071226_14540002 このままストレートに向けて全開だ。

しかし、よく壁にぶつかるので、

071226_16160001 この状態だ。

2007年12月25日 (火)

ステアリングステム

ステアリングステムとヘッドパイプベアリングの交換は効果抜群だった。

走行中に両手を離しても全くぶれない。以前は左へ流れる傾向にあったのだが。
また、ハンドルのきれが良くて、これがセルフステアのスムーズさに貢献している。

テスト走行してみたが、両手をハンドルから浮かした状態で、車体を傾斜させて曲がっても怖くないのである。
昔、自転車でやったのを思い出した。

こんなことに挑戦するから転倒するのかもしれない。安全第一。

クリスマスプレゼント

サンタさんが来て、家族5人にプレゼントを置いて行った。

私はブーツである。
071225_12010001ガエルネED-PRO

結構、うれしい。

ラナパーを塗る。

2007年12月24日 (月)

義の奴隷

出エジプト記26章、歴代史第一29章、箴言28章、ヨナ書3章、マタイの福音書20章、ローマ人への手紙6章、箴言23章1-3節(Clay)、イザヤ書9章1-7節(Clay)、ルカの福音書2章1-7節(Clay)を読む。

今を満足しない傾向について行けない。

罪から解放されて、義の奴隷となったのです。(ローマ人への手紙6章18節)

これ以上に何が必要なのだろうか。”義の奴隷”となった者の選択は義に至る道である。
それ故、義に対する渇望は自然に起こってくるものだ。

今の自分に満足してよいはずである。

次のみことばは新しい歩みをしなさいと解釈するのだろうか。既に新しい歩みをしていると解釈するのが正しいのではないだろうか。

私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ人への手紙6章4節)

次のみことばは神様に対して生きなさいと解釈するのだろうか。既にそうだと解釈するのが正しいのではないだろうか。

キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。(ローマ人への手紙6章10節)

罪に対しては自由であることが述べられている。

罪から解放されているのです。(ローマ人への手紙6章7節)
罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。(ローマ人への手紙6章12節)
あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。(ローマ人への手紙6章13節)

罪に対しては選択の余地が残っているのである。

あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。(ローマ人への手紙6章16節)

義の奴隷”なのだ、唯一、罪に対しては戦って生きなければならない。

奴隷は嫌な事をこらえて働くしもべである。そして罪こそが嫌悪の対象である。

そんな人間に望んで変えられたのだ。

神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
(ローマ人への手紙6章17-18節)

大規模パーツ交換その1

色々とパーツ交換をする。

071224_13520001 タンク(35,805円)
凹んだから交換。デカールがオレンジだなー。素人塗装と違ってピカピカである。

071224_14150001 マスターシリンダ(11,758円)+工賃(3,780円)
サービスマニュアルによると劣化するらしい。ブレーキオイルが無色透明。
マスターシリンダの上の箱はグリップヒータのスイッチ

071224_13510001その他色々

ステアリングステムとその周辺(17,513円)+工賃(11,340円)
元は黒だったがグレーになっている。目立たないから良いか。
ヘッドパイプベアリングがサビサビだった。

フロントブレーキホース(3,076円)+工賃(3,780円)
ブレーキ液(352円)

スロットルケーブル(1,218円)+工賃(1,890円)

クラッチケーブル(1,291円)+工賃(945円)

しめて92,748円

帰りにガソリン満タンにする。
071224_1414000110,475.8km、14歳でのできごと。

ハンドルのきれが驚くほどスムーズになった。
ブレーキレバーの遊びが大きすぎる。調整せねば。

2007年12月23日 (日)

謙遜

”罪を持っているせいで神様から用いられない”と”神はあなたに夢中です”が共存する世界を理解できるだろうか。答えは”謙遜”である。

謙遜は正しい選択を求める。そして正しい選択をする。
神様はそんな謙遜な態度の人を助けてくださる。

今日の学びを聞きなおしてみる。

クリスチャンには聖霊が宿っている。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒の働き2章38節)

だから、自分自身を手放し神様を第一に考えるはずである。
あるいは自分が聖霊を宿していることをわかっていないクリスチャンがいるかもしれない。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
(コリント人への手紙第一6章19-20節)

しかしできない。罪が邪魔をするのだ。
聖霊を封じ込めて、自分の思い通り日々、歩むことは残念なことである。

私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
(ローマ人への手紙7章15-25)

ではどうすれば良いのか。
イエス様にゆだねる。イエス様が救い出してくださる。

神様を侮ってはいけない。神様に望めば全て与えてくださる。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
(ヘブル人への手紙4章12-13節)

素晴らしし学びである。
私は誤解していた。

”自分を振り返って、自分自身を卑下するのは謙遜なのだろうか”、”自分の努力で解決できるのだろうか。”と思っていたが、聞きなおしてそんなことは全く言っていない。

きちんと話を聞いていない。私は不遜だから、正しく聞けない。

今日の学びは聖霊による本当の学びである。
聞くそれぞれの人に必要なことが語られている。最低、メッセンジャと私に対してそうである。
我々クリスチャンは聖霊の宮である。これは事実である。
そのことを知っていることが重要なのである。

続きを読む "謙遜" »

2007年12月22日 (土)

TT01

三男のラジコン(タミヤXBシリーズ TT01)のオーバーホールをする。

071222_15060001 シャーシ

パーツのA2が壊れたので交換。
ついでにフルベアセットでベアリングを全部交換しがてら掃除、グリスアップする。

製品にはパーツリストしか付いてないのだが、組立図はネットでダウンロードできる。
組立図に従えば、以外に簡単に全分解、掃除、グリスアップ、再組立てができた。

パーツリストと組立図でパーツ番号が違い混乱する。組立図が古いようだ。
明らかに太さと長さの違うネジが使ってあった。不具合かな。

よくできてるなー。。。

2007年12月21日 (金)

偶像

出エジプト記25章、歴代史第一28章、箴言27章、ヨナ書2章、マタイの福音書19章、ローマ人への手紙5章、アモス書2章9-16節(Clay)を読む。

生きるのが非常に楽である。余計な悩みがない。

むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。(ヨナ書2章8節)

偶像から開放されたからだと思う。
自分を幸せにするもの、災いから守ってくれるもの、つまりより頼む対象が明らかに変わっている。

お金は人を幸せにしないし、窮地から救ってもくれない。必要なものは必ず備えられている。
お金を求めるのはおろかだ。お金ではなく、欲しいものを直接的に求めるべきだ。
お金の量で人生の価値を決めるのは無意味である。必要なものがなければ、お金は必要ないし。十分な備えがどれほどかなど計り知れない。

一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。(箴言27章1節)

人に頼るのもおろかである。裏切りもするし、力量に応じた助けしか得られない。第一、彼(彼女)は正しいのか。

鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。(イザヤ書2章22節)

振り返ってみて自分にとっての偶像はこの二つであった。この偶像に見切りをつけて、神様にすべてより頼むようになって心配事がない。
以前は悩みの毎日だった。綱渡りのような日々であった。でも、それも心がどう捉えているかである。金や人に頼って心配しているが、実は陰で神様が守ってくださっていた。
恵みを捨てて、不幸にとどまっているようなものである。

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイの福音書5章45節)

2007年12月20日 (木)

神様を信じる

出エジプト記23章、歴代史第一27章、箴言26章、ヨナ書1章、マタイの福音書18章、ローマ人への手紙4章、アモス書2章6-8節(Clay)を読む。

神様を信じるとはどういうことだろうか。存在を信じる。どういう方か聖書に書いてあるとおりに信じる。私たちを愛してくださっていることを信じる。

私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
(ローマ人への手紙4章24-25節)

死者の中からよみがえった人など見たことがないし、誰かがよみがえらせたなんて聞いたこともない。しかし、死人をよみがえらせる、死人がよみがえる空想話はたくさんある。死人がよみがえるとは重要な意味を持っている。
神様はイエス様をよみがえらせた。

そもそも何のためにイエス様を死んだのか。私たちの罪の刑罰の身代わりに死なれたのである。

このことが事実だと信じれば、罪の刑罰を受けなくてよい特権を受けることができる。
それだけでない、聖書が約束する義人の受ける報いを受けることができる。罪を認められないのだから義人として扱われるのだ。

信じますか。

2007年12月19日 (水)

恵み

出エジプト記22章、歴代史第一26章、箴言25章、オバデヤ書、マタイの福音書17章、ローマ人への手紙3章、アモス書1章11節-2章5節(Clay)を読む。

三男がVジャンプの景品を当てた。
前日、”当たれば良いのに”と言うので、”サンタさんにお願いしたら”と言ってやった。
もちろん、サンタさんは神様を象徴している。誤解のないように付け加えるが偶像ではない。
すぐさまお願いをしていた。

本当に当たった。
景品を眺めていて、もしかしたら”クリスチャンの受ける恵みは価なし”は事実ではないかと考えていた。
価なしは価なしである。代価のためのなんらかも必要ないし、無制限である。

食べるものは備えられている。着るものは備えられている。だからそのことに対する心配は無用と考えている。このことについて言えば確信している。
また、心配は無用である。救われ、罪を認められないものと言う意味で次のとおりである。

主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。(詩篇5篇12節)

ならば、遊びほうけて暮らそうか。神様が楽しみを保障してくださる。

「善を現わすために、悪をしようではないか」と言ってはいけないのでしょうか――私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが。――もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。(ローマ人への手紙3章8節)

神様を試みてはいけない。ただ、恵みに感謝すべきである。

2007年12月18日 (火)

事故

12月14日に事故。

怪我はたいしたこと無い。バイクの損傷もたいしたこと無い、と思ってたら結構な金額になっている。

071218_18110001 保険金支払いの申請

4日たってまだバイクを修理できない。
バイクの場合、代車が適用されないのが納得できない。

しかし、ここ数年、毎年事故ってるな。orz

2007年12月17日 (月)

仕事

出エジプト記21章、歴代史第一25章、箴言24章、アモス書9章、マタイの福音書16章、ローマ人への手紙2章、箴言22章26-29節(Clay)、アモス書1章3-10節(Clay)を読む。

”私は、なまけ者の畑と、思慮に欠けている者のぶどう畑のそばを、通った。
すると、いばらが一面に生え、いらくさが地面をおおい、その石垣はこわれていた。
私はこれを見て、心に留め、これを見て、戒めを受けた。
”(箴言24章30-32節)

そろそろ仕事のことも考える時期なのだろうかと思い巡らす。
仕事する気が無いので怠け者かなとも思うし、聖書を読んで霊的に成長するためにじっくりと時間をかけ時期かとも思う。

まだ脚が痛い。朝の冷えなどは辛いところからすると、仕事は無理っぽいのも事実である。

罪悪感はまったくない。過去とは違い有意義な人生を送っていると思っている。生活に困る心配がない。次から次へと生活、遊びともに必要が満たされている。

家内は心配している様子である。

今までのように思い立ったらすぐではなく、じっくり準備して無理なくという感じなのかもしれない。今からイメージトレーニングを始めて、開始は春からか。
そのころになれば、両脚の髄内釘(チタン製の棒)を抜いて、痛みも取れてだとすればそれも良い。

2007年12月16日 (日)

クリスマス集会

キリスト集会もクリスマス色である。

Cimg3570 キャンドルサービス

昨日は尼崎と芦屋恵のクリスマス集会をはしごした。

イエス様生誕のメッセージはやはり良い。皆さんもいかが。

ZUMO550続き

記事”ZUMO550”のアクセスが多いので追記。

MapSourceで作成した林道のお絵かき地図もルートに組み込めたら良いのにと思っていたが、できることを確認。
071216_18560001 野所長谷線林道

来た道のトラックデータをルートに変換してNAVIが可能なことを発見。しかも、始点と終点を反転させることができる。これがすごいのは来た道を逆走できることになる。林道で道に迷った時に使える可能性が非常に高いと思われる。

ZUMO550を広域表示でツーリングも実践済みである。

2007年12月15日 (土)

アジアンタム

腰の痛みで病院に行った帰り、家内の迎えを待つ間に発見。

071215_10230001 アジアンタムだ。

以前に2回ほど育てたことがあるが、すぐに枯らしてしまった。難しい観葉植物だなと思っていたのだが。。。

セメントの隙間に野生種である。しかもこの寒空に元気良く。

2007年12月14日 (金)

意味がある

出エジプト記20章、歴代史第一24章、箴言23章、アモス書8章、マタイの福音書15章、ローマ人への手紙1章、アモス書1章2節(Clay)を読む。

事故の翌日、自分の身体の状態を再確認しても自分の境遇を受け入れることができた。
”意味がある”、この中に動かない思いがあった。自分自身の状態に意味があると確信できることは生きるうえで非常に重要なことである。

そしてヨブ記を思い返し、”主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。”(ヨブ記42章10節)の通り、2倍に良くなると信じることが心の支えになった。また、因果よろしく自分の行いが事故を引き起こしたのではないと考えていった。身の回りに起こる悪いことは因果によるのではないことがヨブ記の主題である。ヨブはなぜ自分が災難にあったのか最後まで知らない。ただ、残りの半生に神様の祝福を多く受ける。

福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。”(ローマ人への手紙1章16節)
神様を信じていて良かった。

単なる気持ちの切り替えじゃないかって。
それを実現させる希望があることが本物たる所以である。

では、両脚切断だったら乗り切ることができたのだろうか。
それはわからない。経験していないので。

怪我が直り、身体障害から開放されるゴールが近いことをしりながら、今、抱えている絶望感は、不自然に思えるが理由がはっきりしている。
意味を見出せない。見失っている。

生きることは不条理に見える。
苦しみの中で目標を見出す。そして待ち望む切ない思いの中で、希望に満ちている。しかし目標を達成すると、虚無に苦しむ。
目的は見出していない。意味があることは実感するが、それが何なのかは知らない。

もう一度、脚を折って入院生活に逆戻りするのなんてまっぴらごめんである。
今に満足してはいけないか。あれが足らない。これが足らない。粗探しは偏執的で益が無さそうである。

今も目的は見出していない。これは隠されているようである。ではどう受け入れるかが問題になる。
こんなたいそうに考えずに、手成りで生きればよいのではないだろうか。
現在だけがある。未来も、過去も実在しない。実在しない物に意味づけするのは無意味である。

現在だけがある。

2007年12月13日 (木)

呑吐ダム

呑吐ダムに行ってみる。

本日のコース(Google Earth)→「20071213.kmz」をダウンロード

昔、東灘区に住んでいた時に加古川との往復でよく通った場所だった。
長男とサイクルロードに遊びに来たこともある。車で自転車を2台運び込んできた。
バイクで走れれば楽しかろうが、通行止めである。

駐車場があるのだが、結構、車が止まってる。何かあるのだろうか。

憂鬱

出エジプト記19章、歴代史第一23章、箴言22章、アモス書7章、マタイの福音書14章、ヨハネの黙示録22章、アモス書1章1節(Clay)を読む。

憂鬱が襲ってくる。心の隙間に入り込んでくるように。

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。”(箴言22章4節)
励まされる。これでよい。

なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される」と。”(箴言22章13節)
なまけ者は言う。「脚が痛い。集中できない。仕事にならない」と。

イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」 ”(マタイの福音書14章31節)
結局のところ信仰が試されている。どうなるかはわからないが、これで良い。

2007年12月12日 (水)

人の心の値うち

出エジプト記18章、歴代史第一22章、箴言21章、アモス書6章、マタイの福音書13章、ヨハネの黙示録21章、テトスへの手紙3章12-15節(Clay)を読む。

人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。”(箴言21章2節)とある。同じように”人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。”(箴言16章2節)ともある。
正しい道を選ぶのは心であり、純粋な行いはたましいによるようである。
また、人の判断基準と神様の判断基準は違うようである。

つまり今、持っている人を見る目は、今までの経験、自分の感性、一般的と思われる基準をもとに形成されているので誤っている。
このことは非常に重要である。我々は自分の言動の指針に、影響を受ける相手の人となり、つまり相手の価値を念頭に置くからである。もっと言えば正義を捻じ曲げることもある。

では正しい人を見る目を養いましょうとなるものであろうか。いや違う、そもそも人をさばいてはいけない。
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。”(ルカの福音書6章37節)、”あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。”(ローマ人への手紙14章1節)、”食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。”(ローマ人への手紙14章3節)

さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。”(出エジプト記1章17節)
さばくことは許されている。しかし荷が重過ぎる。
さばきは神のものである”(出エジプト記1章17節)と続く。
あなたがたにとってむずかしすぎる事は、私のところに持って来なさい。私がそれを聞こう。”(出エジプト記1章17節)で締めくくられている。この信仰があるか。

さばきににおいて自分が求めていることは、正義ではない保身である。必要な物は全てある。そして他人の行く末に興味は無い。これが現実である。

ただ、受け入れることのできる人間でありたい。

心とたましいについては2つの目に見えない構成要素があるようだ。そして肉体がある。
心は人の特徴、たましいは神様の形、肉体はちり、であろうか。

2007年12月11日 (火)

渇望

出エジプト記17章、歴代史第一21章、箴言20章、アモス書5章、マタイの福音書12章、ヨハネの黙示録20章、テトスへの手紙3章1-11節(Clay)を読む。

満たされない思いに沈む時、何が足りていないかがわからなければ、事態は深刻である。これは水を飲みたいが砂漠のど真ん中で水筒が底つきたときと同じだと思う。

しかし満たされることが約束されているならば、解決策は単純である。待てばよい。
この解決策には忍耐が必要である。また、信じることが平安をもたらす。

今の私はと言うと”神さまは私が満たされることを望んでおられない。”と考えている。渇望と隣り合わせの人生。こう書くと滑稽の極みだが、切実なのだ。

「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。”(出エジプト記17章7節)
これはイスラエルの民が荒野を旅していた時のことばである。
飲み水が無かった。民はモーセと争った。神様の超自然的な介入で水が与えられた。
民はモーセにつぶやいて言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」 ”(出エジプト記17章3節)とある。この気持ちはよく解る。”何のために私は今、生きているのか”が重なる。

イスラエルの民が経験した40年間の荒野での旅は、クリスチャン生活を預言している。
数々の神様の超自然的な介入を目にしながら、常に現実の問題を前に絶望する。
問題の切実さは、その問題の内容そのものではなく、神様への信頼の無さ、”主を試みた”姿勢が引き起こしていることを見ることができる。
イスラエルの民はこの旅の中で世代交代する。世代交代はクリスチャンの人格形成を預言している。
成長の要点が解る。

イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。”(マタイの福音書12章1節)、この後、安息日の議論に話は続く。
ひもじくなった”が飢えの問題には発展しない。穂がそこに備えられているのだ。
ここに神様の超自然的な介入を認識すべきだ。ひもじくなった、穂が在った、摘んで食べた、パリサイ人がいた、安息日だった、イエス様がおられた。これらはすべて偶然だろうか。
安息日の議論のために、ひもじくなり、穂が在ったと理解すべきだ。

目的と必然がある。これを支配されているのは神様である。

こうして見てみると、問題を予見して備えできているかを悩んだり、自分の置かれた境遇を悩むのは愚かだと言うことも解る。
ヨアブは民の登録人数をダビデに報告した。全イスラエルには剣を使う者が百十万人、ユダには剣を使う者が四十七万人であった。”(歴代史第一21章5節)
ダビデは自分の持っている力を知ることに意味がないことを理解していなかった。
神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 ”(ルカの福音書12章16節)

人生の目的はわからない。何が起こるのかも解らない。問題は常に切実である。そして、絶望は確かに罪である。

信仰から出ていないことは、みな罪です。”(ローマ人への手紙14章23節)

私には希望がある。希望があるから、この渇望に耐えることができる。渇望は忍耐を成長させる試練である。
希望が無くて、この渇望があると悲惨である。これが”彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける”(ヨハネの黙示録20章10節)ではないかと考える。この差がラザロと金持ちを分ける”大きな淵”(ルカの福音書16章26節)だとも考える。

2007年12月10日 (月)

望み

出エジプト記16章、歴代史第一20章、箴言19章、アモス書4章、マタイの福音書11章、ヨハネの黙示録19章、テトスへの手紙2章11-15節(Clay)を読む。

祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むように”(テトスへの手紙2章12節)
これしかない。

と書きなさい”(ヨハネの黙示録19章9節)

金曜日にもらってきたが、必要なのだろうか。いつまで続くのだろうか。あきらかに薬物依存である。
071207_10210001

何もしたくない。するとのめりこんで依存症・・・何なんだよ。

どの薬にも”車の運転や危険な作業は避けてください”と書いている。

2007年12月 9日 (日)

模範

箴言22章22-25節(Clay)、テトスへの手紙2章1-10節(Clay)を読む。

すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、 非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。”(テトスへの手紙2章7-8節)

テトスはどう捉えたのだろか。
心から”はい”と応えられるほど熱心だったのだろうか。
いや熱心ではなく、謙虚だったのだろうか。

荷が重いが必要性は強く感じる。
訓戒と自由が相反するように思えるのは間違いである。

だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。”(マタイの福音書6章24節)
謙虚で熱心に神様に仕える自由がない。

仕上がり

バイクの仕上がりが良い感じである。

エンストなし。燃費向上。走りに安定感がある。

071208_20470001 明るいライトで安心感向上。
初めて真っ暗な3xx国道を走ったが、めちゃくちゃ明るくなった。もう怖くない。

2007年12月 8日 (土)

燃費10,166.6km

071208_20080001 225.7km÷6.22L=36.3km/L

CDIユニット交換の効果が出てる。GJ

10,000km

071208_14430001 9,999.9km

少し走って

071208_14440001 10,000km

10月15日に7741.6kmでgetしたので2ヶ月で2,258.4km走ったことになる。約1,000km/月か。

場所はこちらのkmzファイルで。

燃費9,940.9km

071208_11490001115.9km/3.66L=31.7km/L
おっ来たか。

西へ

朝、起きたら頭痛。気がめいる。
SG顆粒を飲んでボーっとする。

今日は昨日の整備の成果を確認しにツーリング行きたいなと思案する。

頭もスッキリしてきた。行くか。

西に行こう。
本日の行程(Google Earth)→「20081208.kmz」をダウンロード

ZUMO550を広域表示にして海岸線を走る。こんな使い方もできるのかと感心する。地図の見たいところを見ながら走っているようなものである。細い小道は表示されないが、これはこれで良い。

071208_2046000110,192.0km
305.1kmを走破する。尻が痛い。

エンジンの感じが違う。
ビートが安定してる。エンストなし。\(^o^)/

続きを読む "西へ" »

2007年12月 7日 (金)

整備で鼻水タラタラ

突発性心臓停止治療のためCDIユニットを交換する。
ついでにクラッチスイッチ交換、リアキャリアとタンデムステップを装着。

クラッチスイッチ交換
071207_13440001_2 クラッチスイッチ \819
結果的にクラッチスイッチに異常は無かった。交換したRallyのクラッチレバーに問題があった。純正と形が違うのだ。クラッチレバーを放してもスイッチを押していない。
今回は元々付いてた純正クラッチレバーを短くカットしたものに戻した。スイッチも悔しいから交換する。
テストOK。サイドスタンドを上げる+ギヤがローの時にクラッチを切らないとセルモーターが回らないようになった。

CDIユニット交換
071207_13440002 新品 \8,767
071207_15210001 タンクの下に付いてる。
キルスイッチの配線も元に戻す。OFFにするとエンジンが停止する。

リヤキャリア装着
071207_10560001 ライディングスポット ツーリングキャリア オフロードライン \9,878
二人乗りの時やバイクを起こす時のグリップを確保。でか。
071207_16020001こんな感じ。
テールライトカバー(ゴム)は折り曲げた。左右ステーとサイドカバーを友締めするのだがステーの幅が狭くて入らないので、無理やり広げてやった。これが正しい付け方なのだろうか。

タンデムステップ装着
071203_10340001タンデムステップ Yahooオクで\3,600
071204_11390001 ネジ4個 \168
071207_16100001 こんな感じ。

突発性心臓停止直って。お願い。

気が付いたら鼻水がツーっと出てるのは結構むかつく。寒かったー。

071207_18360001 9,886.9kmでの出来事。

タイヤ

山でスッリプ転倒を二回もしたのでタイヤを調達。
現オンロードタイヤからオフロードタイヤに変更する作戦である。

071207_13090001_2 ミシュラン T63
フロント 90/90-21 54S  TT \5,200
リア  110/80-18 58S TT \5,300

071207_13070001 その他諸々
ダンロップ チューブ 2.75:3.00-80/100-80/90-21 TR4 21インチ用 \1,680
ダンロップ チューブ 4.10-90/100-100/90-18 TR4 18インチ用 \1,995
ダンロップ フラップ (リムバンド) 2.75:3.00-80/100-80:90/90-21 \210
ダンロップ フラップ (リムバンド) 3.00:4.10-80:120/90-18 \210
DRC ビードクリーム 40g \467

071207_10590001071207_11010001 DRC ミニフットポンプ アルミチューブ \2,896
このサイズで使い物になればGJである。

まだ少し山が残ってるので、取替えは後日。

ウエア

Web!keからに持つが来た。

071207_10320001 RSタイチ ac グローブ\3,890
能勢での転倒で破れたので再購入。
グリップヒータがあるので防水で薄いのが良い。

071207_10390001 HONDA:ホンダ レインブーツカバーショート \3,691
左足につける。ピッタリフィットでなかなか調子よさそうである。

おのれを閉ざす者

出エジプト記15章、歴代史第一19章、箴言18章、アモス書3章、マタイの福音書10章、ヨハネの黙示録18章、テトスへの手紙1章10-16節(Clay)を読む。

私は人間付き合いが苦手だ。積極的に避けている。

おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。”(箴言18章1節)
おのれを閉ざす者”である。
確かに”欲望のままに求め”てやりたいほうだいで、正論や人の意見が嫌いで反抗する。
そのままじゃないか。

両親も、兄弟も、家族も、大いにいやな思いをしたことだろうと想像する。

そんな私がクリスチャンですとあかししても良い方向に進むわけが無い。
自分勝手な暴走としか見えないと思う。

わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。”(マタイの福音書10章22節)、”家族の者がその人の敵となります。”(マタイの福音書10章36節)とあるが、私の場合は自業自得である。

しかし、両親も、兄弟も、家族も、まず私の食事の感謝を受け入れてくれた。

あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。”(マタイの福音書10章40-41節)
確かにクリスチャンとしての私を受け入れてくれた。
クリスチャンの受ける報いは莫大である。幸いである。

2007年12月 6日 (木)

突発性心臓停止

今日、CDIユニットとクラッチスイッチを注文した。明日、入荷する。

走行中のエンストを解決したい。
エンストするともちろんバイクは速度を落として停車する。発火していない。キルスイッチでストップを押した時と同じ状況になる。CDIかパルスジェネレータがおかしい、機能不全になっている。
奇怪なのは失速し始めた時にスタートボタンを押すと復活するのだ。刺激になってるのか。
交通量の多い道路を走っている時に起こると結構、怖い。
CDIユニットで解決するかどうかはわからないが、14年目の車両と言うこともあり、パーツ供給されている間に交換しておきたい旨もある。

失速した時にスタートボタンを押すと復活することを前提に配線図を眺めていてクラッチスイッチが機能していないことに気付く。
サイドスタンドを上げてローに入れてスターとボタンを押すとセルが回るのだ。つまり車体が前進する。これは危険である。

Web!keからタイヤとキャリアを発送したとメールが来る。
Yahooオクで入手したタンデムステップもある。
明日は忙しい。

洗車

洗車する。
071206_14060001 きれいになった。
手馴れた。

チェーンに注油
071206_14030001 キジマワンナップスタンド
サイドスタンドの反対側のステップに引っ掛けて後輪を浮かす。携帯できる。優れものである。Yahooオクで5,250 円なり。定 価 2940円(税込)らしいが、既に完売、廃盤なので良し。

恋い慕っている

出エジプト記14章、歴代史第一18章、箴言17章、アモス書2章、マタイの福音書9章、ヨハネの黙示録17章、テトスへの手紙1章1-9節(Clay)を読む。

恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。”(出エジプト記14章13節)
海が割れ、イスラエルの民がエジプトから抜け出す直前にモーセが民に言ったことばである。
エジプトから救い出される。
もはや永久に見ることはできない”とあるが、イスラエルはエジプトを慕い、裏切られる歴史を繰り返す。

私は依存症である。
今は酒を絶っているが、依存対象を変えているだけである。いつも刺激を求めている。依存から開放された人生がどういうものかわからない。
罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。”(創世記4章7節)
まさに”恋い慕っている”ように、さまざまな物が私を虜にしようとしている。
私は治めているのだろうか。

祈りによって酒の誘惑を乗り切る術を得た時、酒に魅力を感じなくなったと認識した時、依存症から開放されたのだと思った。しかし、実際は違った。
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。”(マタイの福音書16章24節)
依存症が私の十字架である。
依存症を背負って生きなければならない。

自分を捨てなくてはいけない。私は治めないといけない。
できない。

自分を捨てなくてはいけない。私は治めないといけない。
イスラエルのようにならないために。

2007年12月 5日 (水)

燃費9824.9

071205_16180001 212.2km/6.47L=32.8km/L

突発性心臓停止が止まらない♪。
どこいじればいいんだろ。。。。。

雪彦峰山林道

雪彦山登山口を基点に林道探索に行く。
071205_11410001

本日の行程(google earth)→「20071205.kmz」をダウンロード

以前、Dakachanと来た道である。前回は道がよく判らなくて、今回の逆の行程だった。

小雨と思いきや雪が降る。地面が真っ白になった。
寒かったー。

続きを読む "雪彦峰山林道" »

2007年12月 4日 (火)

悪者

出エジプト記13章、歴代史第一17章、箴言16章、アモス書1章、マタイの福音書8章、ヨハネの黙示録16章、ヨエル書3章18-21節(Clay)を読む。

主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。”(箴言16章4節)
このみことばを覚えている。前回読んだ時も同じ印象を持ったと思う。

わざわいの日のために悪者に造られた人って、たまらないだろうなと思うのである。
私はキリストの救いを受け入れたから違うと考える。これはあきらかに選民意識だ。
解釈が神様の正義に行き着かないから、何か間違えている。止まってしまう。休養パターンである。

家内に話してみた。
一言、”みんな悪者やん”

そう解釈するのか。(ほー、ほー)

皆が”悪者”だ。そして皆が”わざわいの日”に直面する。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている”(ヘブル人への手紙9章27節)
究極はここにある。
そもそも生きることそのものが”わざわいの日”の積み重ねである。

必要なのは自分の進む道をどう受け入れて、どう備えするかである。
あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。”(箴言16章3節)
このみことばと対になっている。

自然体で”主にゆだねよ”を実践できれば良いのだが。これができない。
福音書のイエス様の生涯がまさにこの通りである。

なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。”(マタイの福音書8章26節)とイエス様は仰る。
明日はツーリングに行こう。

燃費9612.7

071204_11090001 197km÷6.75L=29.2km/L
レギュラーがリッター150円!

突発性心臓停止が発病する。orz

2007年12月 3日 (月)

キルスイッチ

071203_13500001 キルスイッチである。
教習所では全電気系統を遮断すると習ったが、XLR125Rはセルモーターも回る。多分、ヘッドライトも点灯する。
ネットで調べると下記の通り書いてあったので、この仕様が正しいようである。

強制的に点火プラグの発火をオフにすることでエンジンを非常停止するスイッチ。

このキルスイッチが突発性心臓停止の原因になっているのでは、とHONDA DREAMメカニックの方から情報をいただく。
対処方法として一旦、キルスイッチの回路を切断して症状が出るか様子を見ることを勧められた。

サービスマニュアルの配線図を眺めると、キルスイッチと言う回路は無い。
OFFでバッテリー電源とCDIユニットが断線するだけである。

再度、メカニックの方に確認すると、キルスイッチのOFFでバッテリー電源とCDIユニットが断線しないように、キルスイッチをバイパスするように配線を直結させるとのことである。

確かに、この方法だと症状が出ればCDIユニット、症状が出なければキルスイッチの不具合になる。

やってみた。
071203_151800014P MINI黒カプラーの赤/黒線と黒/白線
ハーネス側を直結。赤/黒が赤/青に見える。(心配だなー)

エンジン始動→キルスイッチOFF→エンジン停止・・・しなーい。OK。

休養6

出エジプト記12章、歴代史第一16章、箴言15章、ヨエル書3章、マタイの福音書7章、ヨハネの黙示録15章、ヨエル書3章13-17節(Clay)を読む。

休養続きの中、無花果の解釈が解決した。と言うか、考えて、原点に立ち返る必要があったようである。

なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。”(マタイの福音書7章13節)の通り、目の中の梁だった。

神様は私たちが義を全うして、永遠の天の御国に入ることを心から望んでおられる。
イエス様はそのための救いを実現し多くの者を獲得するためだけにこの世にこられた。
イエス様の言動の全てはここに至る。

このことを深く思い返す考察であった。

2007年12月 2日 (日)

証明

箴言22章17-21節(Clay)、ヨエル書3章1-8節(Clay)を読む。

今日読んだ個所とはまったく関係が無いと思う。
今日受けた学びで参照した時にふと目に付いた。

イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。”(使徒の働き9章22節)
証明できるのだ。私もこの働きに預かりたい。

2007年12月 1日 (土)

サーキット

三男のラジコンカーサーキットデビューである。

送り向かいの運転手として共をする。

ドリフトコースとレーシング(ドリフトに対してグリップと言うらしい)コースがある。
息子はドリフト。上手なものだ。

071201_11410001 071201_11420001 071201_11420002

レーシングコースは凄いスピードだ。やるなー。

ピットの風景はなかなかマニアックでゾクゾクするものがある。
手を出さなくて良かった。良かった。

最後は息子もレーシングコースに。ドリフトは地味でイマイチらしい。

暗くなってドリフトコースでLED電装カスタムしたラジコンカーが優雅にコースを流していた。

楽しかった。

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »