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2007年11月

2007年11月30日 (金)

休養5

出エジプト記11章、歴代史第一15章、箴言14章、ヨエル書2章、マタイの福音書6章、ヨハネの黙示録14章、ヨエル書3章1-8節(Clay)を読む。

やはり休養のようである。
ここにたどり着いて、慰めを得る。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。”(マタイの福音書6章26節)
野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
”(マタイの福音書6章28-30節)

私は自由だ。

2007年11月29日 (木)

救急医療

フロントディスクのキャリパーボルトをねじ切ってしまう。orz

071129_15140002 お、やってもたー

HONDA DREAMへ直行だ。

071129_15140001 診療台の上で治療を待つXLR125R

ついでに、、、
フロントブレーキを握ってもブレーキランプが点灯しないのを診てもらう。放す瞬間に点灯するように見える。
テスター片手にスイッチ、配線を調べても解らなかった。

071129_15140003 犯人はスイッチある。スイッチ内の接触不良が原因。

私がテスターで調べた時はうまく動作していたように見えたのに。

フロントストップライトスイッチASSY 913円
工賃 1890円

スイッチはショックである。発見できていれば自分で直せたのに。。。

突発性心臓停止が再発している。
原因が解らない。本社にも問い合わせしていただいているのだ。

休養4

出エジプト記10章、歴代史第一14章、箴言13章、ヨエル書1章、マタイの福音書5章、ヨハネの黙示録13章、ヨエル書2章28-32節(Clay)を読む。

ヨエル書が重なってしまった。
なぜかピンとくるものがない。引き続き休養中。

無花果について再度、考察する。

2007年11月28日 (水)

思慮に欠ける

出エジプト記9章、歴代史第一13章、箴言12章、ホセア書14章、マタイの福音書4章、ヨハネの黙示録12章、ヨエル書2章21-27節(Clay)を読む。

しかし、主はパロの心をかたくなにされ、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりである。”(出エジプト記9章12節)
なぜ、パロの心をかたくなにし、一連のエジプトへの災害をもたらされたのか解らない。
意味無くこれらのことが起こったとは思わない。今の自分にも関わる何かの比喩が隠されているのだと考える。

ウザは手を伸ばして、箱を押さえた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。  すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱に伸べたからである。彼はその場で神の前に死んだ。 ”(歴代史第一13章9-10節)
なぜ、ウザは打たれたのか解らない。これはまったく解らない。

箴言を読んでいて今の自分がどこに該当するのか解らない。どれにも該当しないような気がする。今の自分を正しく捉えられないようである。

むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。”(箴言12章11節)が心の中にこだまする。

元気がない。やはり休養中か。

2007年11月27日 (火)

休養3

出エジプト記8章、歴代史第一12章、箴言11章、ホセア書13章、マタイの福音書3章、ヨハネの黙示録11章、ヨエル書2章18-20節(Clay)を読む。

やはりなにも思い浮かばない。

2007年11月26日 (月)

休養2

出エジプト記7章、歴代史第一11章、箴言10章、ホセア書12章、マタイの福音書2章、ヨハネの黙示録10章、ヨエル書2章1-17節(Clay)を読む。

なにも思い浮かばない。休養か。

2007年11月25日 (日)

スシロ

チウナーと家族5人でスシロ

071125_19540001 70皿+2椀+3デザート

2007年11月24日 (土)

犯人

先日のヘッドライト不点灯、セルモータ不始動の犯人は、

071124_16320001 だった。

切れたと言うより劣化のようなので、全部のフューズを新調する。

自分

出エジプト記6章、歴代史第一10章、箴言9章、ホセア書11章、マタイの福音書1章、ヨハネの黙示録9章、ヨエル書1章15-20節(Clay)、箴言22章15-16節(Clay)を読む。

私はバイクでツーリングに行くのが好きだ。一人で誰もいない所に行きたい。だから、林道、山中に入り込んでいく。
昔から好きだったわけではない。昨年秋に思い立ったように始めたのである。
事故があって長い間が開いて、再開した。今、唯一の楽しみである。

どうも自分の運動神経、性格、考え方からすると危険な楽しみのようである。

この唯一の楽しみには意味がある。
昔から多趣味でいろんなことにのめりこんできたが、一時点にはひとつだった。
”偶像”との解釈もあるが、そうは考えていない。奉る気なんてこれぽっちも無い。
刺激を得たいのだ、熱中したいのだ、それだけである。

今までいろいろな事をしてきたが、やってることそのものの自体には意味が無いように思える。やってることの違いがあるが、同じ刺激を受けることを求めているように感じる。失敗して、工夫しての繰り返しを求めているのだ。

酒からは開放されたが、依存症から開放されていないのか。
はたまた依存とは違った、持って生まれた性癖なのか。

愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。”(箴言22章15節)
このみことばの通りであるようだ。持って生まれたもしくは幼いときに培った”愚かさ”のようだ。

問題は一連ののめりこみの中で、何が”愚かさ”なのか解らないことなのである。のめりこむことそのものが”愚かさ”だとは思えない。対象の選択か、取り組み姿勢か、なにが問題なのであろうか。
また、今、追っている失敗と損失が”懲らしめ”なのだろうか。

いや違う。

今、追っている失敗と損失から、何を考えるか、何を求めるかが重要なのだ。

因果と、この延長線上に悲観的な展望に気を沈めること。これこそが”愚かさ”であることには間違いない。
バイクをやめようと言う気はこれぽっちも無い。逆に失敗と損失を通して何か確証を得ることの必要性を感じている。自分をサンプルにした真理の探究をしているようである。

のめりこむことをやめてはいけない。生きることを放棄することになる。
いや、のめりこむことをやめることはできない。私は生きている。

これで正しいのか。これで全てか。解らない。
目の前が覆われているような気分である。

愚かさ”で満ちている気もする。
懲らしめの杖がこれを断ち切る。”この時に得るものが成長である。
持って生まれた性格を、形成された人格が覆うのである。

昨日の転倒、小怪我から考えが巡っている。

2007年11月23日 (金)

燃費20071123

071123_11230001 152.9km÷5.35L=28.6km/L

能勢路

ライト交換、ハンドル微調整の調子を見がてら、以前Dakachanで行った能勢奥山キャンプ場起点の林道へ向かう。

本日のコースはこちら→「20071123.kmz」をダウンロード

しかし林道直前でまたまた転倒、小怪我。( i_i)

傷口が汚れてたので近くの道の駅で手当てする。

気が付けばセルモーターが回らない。( i_i)
押しがけジャー。脚痛いのに。

気が付けばライトが点灯していない。( i_i)
とっとと暗くなる前に退散ジャー。

しょぼんな一日。
朝、出ようかどうか迷った日は止めたほうが良いようだ。

2007年11月22日 (木)

休養

出エジプト記5章、歴代史第一9章、箴言8章、ホセア書10章、使徒の働き28章、ヨハネの黙示録8章、ヨエル書1章2-14節(Clay)を読む。

風邪で頭がボーっとする。休養する。

2007年11月21日 (水)

ライト交換

XLR125Rのライトが暗いのでSL230のライトを取り付けることにする。
ネット検索してできることを知る。

Cimg3397Before→ 071121_17510001 After

11月3日から足掛け20日弱の作業期間であった。

ついでにハンドル位置の調整を実施。油で泥泥のフロントスプロゲットカバーも交換する。

製作過程と調達は続きを参照のこと。

続きを読む "ライト交換" »

神様の憎むもの(続き)

出エジプト記4章、歴代史第一8章、箴言7章、ホセア書9章、使徒の働き27章、ヨハネの黙示録7章、ヨエル書1章1節(Clay)を読む。

自分のいのちがかかっているのを知らない。”(箴言7章23節)
罪の実態である。いのちがかかっている。救われないといけないのだが知らないのだ。これは非常にまずいことである。

主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。”(出エジプト記4章11節)
これは召しを受けて、尻込みしているモーセに神様が仰った言葉である。

来週の伝道集会でメッセンジャーを担当する。
神様の憎むもの”に記述した内容を語るつもりである。
私のメッセージがどのような結果をもたらすかは神様のみこころにかかっている。
神様のつけた口が語り、神様が聞こえるようにしてくださる。

この二日でメッセージの準備ができた。

2007年11月20日 (火)

反則切符

スピード違反。しかも17km/hオーバー。50km/h制限のところ67km/hで走行。
法定速度を7km/hもオーバーしている。

勘弁してと頼んだが、お願いもむなしく響いて、
071120_18300001 青紙。

担当の警察官は原動機付き自転車で法定速度制限を遵守しているそうだ。

戒律は守らなければいけない。

反則金12,000円也。1点加点。

反則金は払わないといけない。(有意義に使われますように。。。)
ネットで振込みできないんだ。今時・・

累積点数5点か。後1点で免停じゃないですか。
1年で帳消しなら、去年の事故から1年経ってるので1点なのだが。
その差は雲泥の差だ。現時点での累積点数を教えて欲しいとお願いするが、できないとのこと。
確認するには警察署・交番・駐在所等で申請用紙(郵便振替申請用紙または窓口申請用紙)を入手。郵便局で自動車安全運転センターに手数料700円を振り込み、その上で2週間も待つらしい。今時・・・・・

神様の憎むもの

出エジプト記3章、歴代史第一7章、箴言6章、ホセア書8章、使徒の働き26章、ヨハネの黙示録6章、オバデヤ書17-21節(Clay)を読む。

聖書の記述には不思議だなと思う個所が多々ある。

主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、
邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、
まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。
”(箴言6章16-19)
神様の憎むものが挙げられているが、”偶像崇拝”は含まれていない。
これらは人と人の関係に属する行為ばかりである。
人間的に捉えれば、他人が上記の行為をしていたとしても、知ったことではない。

しかし、神様にとっては聖書を通して伝えたい”神様の憎むもの”あのである。

ここだけを見ると、宗教的な言い方で規律とすることができるが、規律の観点では律法が別に記載されている。この箴言は知恵についいて書かれた書である。

律法によって定義された罪とは何か。これを本質的な見方で捉えているように思える。
罪とは神様がだめだと定義された単なる行為の総称ではないようである。
罪は人間の考えの及ばない本質と言うか実態を持っているようである。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている”(ヘブル人への手紙9章27節)
罪には、この事実をもたらした実態がある。”一度死ぬこと”に異論のある人はいないだろう。
しかし、確かに、死とはなにか、さばきとはなにか、罪とどのような関係にあるのかを知っている人はいない。
ここでの知らないは、認められないではなく、明らかに無知である。
もう一度言うが、人間の考えの及ばない本質や実態は多くある。

無知の故に死んではいけない、無知の故にさばかれてはいけない。
無知の故に罪の中に留まっていてはいけない。

イエス様は以下のように仰っている。
わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。
”(ヨハネの福音書11章26節)
死なないからさばきも受けない。

無知の故にイエス様の言葉を信じようではないか。

この方は何の罪も犯されなかったのに、十字架の死刑に自ら向かっていかれたのである。
イエス様はこうも仰った”人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。”(ヨハネの福音書11章13節)
この大きな愛をわたしたちのために実践してくださったのである。

そして、”死んでも生きるのです”を実現するために、十字架の死から三日後によみがえられたのである。

このことを信じますか。”に”はい”と答えようではないか。

丸亀製麺

明石で脳を見てもらった時は、いつも丸亀製麺♪

071120_12190001_2 社長?

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2007年11月19日 (月)

みこころを留められた

出エジプト記2章、歴代史第一6章、箴言5章、ホセア書7章、使徒の働き25章、ヨハネの黙示録5章、オバデヤ書15-16節(Clay)を読む。

神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。”(出エジプト記2章25節)
イスラエル人がエジプトで奴隷として労役にうめき、わめいた時のことである。
神はみこころを留められた”とある。

気になる。が、集中できない。

2007年11月17日 (土)

神を恐れる

出エジプト記1章、歴代史第一5章、箴言4章、ホセア書6章、使徒の働き24章、ヨハネの黙示録4章、箴言22章13-14節(Clay)を読む。

神様を恐れること。これは全ての始まりである。

しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。”(出エジプト記1章17節)
神はこの助産婦たちによくしてくださった。”(出エジプト記1章20節)
助産婦たちが何をしたかと言うと。イスラエルの民が精力的に増え続けるので、エジプトの王がイスラエルの助産婦に男の子が生まれたら殺せと命令した。この命令に逆らったのである。
エジプトの王の言葉に逆らったのだ、殺されるかもしれない。しかし、そんなことよりも神様を恐れた。助産婦たちは知恵が与えられ、危機を免れる。

それは、彼らがその戦いのときに、神に呼ばわったからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた。”(歴代史第一5章20節)
神様により頼んだ民は戦いに勝利する。

あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。”(箴言4章7節)
人は財産を失うことを恐れる。そこに不幸を見るからである。あるいは死を見るからである。
繁栄、勝利、幸福は神様が与えてくださる物である。
財産は繁栄、勝利、幸福を与えてくれない。財産を持つことは失うことの恐怖を伴う。
神様に信頼し、財産を賭け、つまりさまざまな経験をして悟りを得ることを聖書は勧めている。
人生経験を推奨しておられる。

神様は仰る。
わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。”(ホセア書6章6節)
誠実”とは神様を恐れることだと考える。”神を知ることを喜ぶ。”とある。
いけにえは喜ば”れないのだ。私たちが神様の不自由を補ったり、神様のために自分自身を傷つけることは望んでおられない。

人生と言う貴重な時である。全てを神様に任せなさいと聖書は語っている。我々は楽しめばよい。

神様を恐れる。
主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。”(ヨハネの黙示録4章11節)
すべてはこの方のお考えに従っているのである。

2007年11月16日 (金)

主を恐れる者

創世記50章、歴代史第一4章、箴言3章、ホセア書5章、使徒の働き23章、ヨハネの黙示録3章、オバデヤ書1章1-9節(Clay)を読む。

悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。”(創世記50章20節)
自分のしていることが、その後にどう展開していくのか解らない物である。
往々にして良いようには捉えない。なぜなら、良いことをしないからである。まさに”悪を計りました”である。
だから、いつも不安に陥る。
この場合、業(カルマ)や復讐を思い浮かべる。

しかし、神様は全ての調和の上に”良いことのための計らい”としてくださる。
人にはそのからくりは解らない。

主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。”(詩篇115編11節)
神様は神様を恐れる者を恵み、全てのことを良くしてくださる。
これがなかなか信じられない。

悪いことが続いて結果、良好となるのだ。

この信じられないが不幸の始まりである。

あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。
にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。
主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。
”(箴言3章24-26節)とある。

私はあなたを愛するとおっしゃる方。
この方は万物をお創りになられ、今、現在に至るまで全ての調和を取っておられる方である。

なにも恐れる必要が無い。
心の隙が疎ましい。

Porto Bazar

071116_18130001 幼年幼女合唱団

クリスマスが始まったか

クワンチャイ

071116_12220001_2 カノム・チン ゲン・キョウ・ワン セット

タイ料理を食べる。

2007年11月15日 (木)

離れてしまっていないか

創世記49章、歴代史第一3章、箴言2章、ホセア書4章、使徒の働き22章、ヨハネの黙示録2章、使徒の働き28章30-31節(Clay),オバデヤ書1章1節(Clay)を読む。

事故から一年が経つ。仕事もせずに好きなこと、できることをしている。
特にこれと言って問題を感じているわけではない。
そろそろ変化が訪れるのだろうか。

あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。
”(ヨハネの黙示録2章4-5節)とある。”初め”はどうだったのだろうか。

愛から離れ”てはいないと思う。逆に深まる一方である。
どこから落ちたか”、これを気にしている。落ちてはいないだろうか。

酒から開放され始めたころに、神様の技は実に自然なので人には何が起こっているかがわからないと確信したことがある。このことを確信した時に人生の意味が解って泣いた。
このときの思いを忘れてはいけないと考える。

次のメッセージを推敲するに当たり、じっくり考えようかと思う。

2007年11月14日 (水)

はりまシーサイドロード

今日は兵庫県西南部に行く。
千種川を下り、はりまシーサイドロードを走る。

google earth →  「20071114.kmz」をダウンロード
轍(PCソフト)のせいか、ZUMOのせいか、デジカメのせいか、WayPointにマッチしない写真がでる。

千種川がきれいだった。

カーブにいてセルフステアを意識して肩と手の力を抜くことに心がける。
ダウンのパッチ2号とジーンズでは寒い。

Garmin ZUMO 550で検索→出発→現在ルートの経由地に設定の挙動が解らん。

XLR125Rの場合、下道300kmが限界である。お尻が割れるぅ。

続きを読む "はりまシーサイドロード" »

燃費20071114その2

071114_16540001 203.9km÷6.22L=32.8km/L

過去最高。

燃費20071114その1

071114_10330001 今回9058.4
前回8926.1
給油量4.41L

(9058.4-8926.1)÷4.41=30km/L

2007年11月13日 (火)

祭司

創世記48章、歴代史第一2章、箴言1章、ホセア書3章、使徒の働き21章、ヨハネの黙示録1章、使徒の働き28章23-28節(Clay)を読む。

私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった”(ヨハネの黙示録1章6節)
王国と言うことは民がいる。祭司の役割は仲介である。誰と神様の仲介をするのか。

いつのことを言っているのだろうか。

私は民を治めるものにも、祭司にもなりたくない。
私の認識の何かがおかしい。

黙示録の中に正しい理解が記載されていると信じる。

2007年11月12日 (月)

背教

創世記47章、歴代史第一1章、詩篇150篇、ホセア書2章、使徒の働き20章、ユダの手紙、使徒の働き28章16-22節(Clay)を読む。

それは主が、民をエジプトの地から救い出し、次に、信じない人々を滅ぼされたということです。”(ユダの手紙5節)
これは出エジプトの40年間の放浪のことを言っている。この世の罪からの救いを象徴している。
救い出されてから、”信じない人々を滅ぼされた”とある。

これは”信じない人々”つまり背教徒が、教会に紛れ込むことを予め表している。
信じない人々”も救いの群れの中に加えられている。
そしてこれは、”畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。
”(マタイの福音書13章38-39節)の通り悪魔の仕業とある。

使徒の働きにも”狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
”(20章29-30節)とある。

信じない人々”は取り除かれる。
悲しくて、恐ろしいことである。
小さな集会に集う私には経験の無いことである。

逆に信じる者は”傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせる”(ユダの手紙24節)とある。

この人たち(つまり背教徒)は、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。”(ユダの手紙19節)とある通り、”信じない人々”かどうかは御霊を持っているか、持っていないかにかかっている。
このことが私の信仰のよりどころである。私には御霊が宿っている。
なぜなら、”神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。”(コリント人への手紙大地12章3節)と書かれている。

イエスは私の救い主である。

Pizzeria La Baraonda

家内と三男とお出かけ。
三男は土曜日の音楽発表会の代休。

パスタとピザを食す。
071112_12240001_3 イタリヤの曲が流れているがメキシコみたいな感じがする。

071112_12320001_2071112_12310001_2

2007年11月11日 (日)

あなたといっしょに

創世記46章、列王記第二25章、詩篇149篇、ホセア書1章、使徒の働き19章、ヨハネの手紙第Ⅲ、使徒の働き28章11-15節(Clay)を読む。

わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。
わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。
”(創世記46章3-4節)
なんという祝福の言葉だろうか。”恐れるな”、”あなたといっしょに”とある。
これがクリスチャンの強みである。
神様がいっしょにおられる。

今は、教会の建てあげられる最終目標が何なのか、自分がどのような役割を持つのか、このことに対する関心で頭が一杯である。

2007年11月10日 (土)

大いなる救い

創世記45章、列王記第二24章、詩篇148篇、ダニエル書12章、使徒の働き18章、ヨハネの手紙第二1章、箴言22章11-12節(Clay)を読む。

創世記ヨセフの物語はキリストを象徴している。

裏切られ、捨てられ、彼の地に行き、そこに理想の地を築き、裏切り、捨てたものを迎え入れる。
まさにイエス様の生涯と救いである。

クリスチャンも同じである。キリストの歩んだ道を行くのだから。

それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。”(創世記45章7節)

家族、親族、友人ら、つまり世から決別して、救いの道に入り、皆を迎える。
私の場合、別に裏切られ、捨てられたわけではないが、そういうクリスチャンもいるだろう。
ただ言えるのは別世界に行くこのであるから、そのことでの衝突は確かにある。
皆からは奇異に見えるところに居るのは明らかである。

私はどれだけの人を迎えることができるのだろうか。

2007年11月 9日 (金)

創世記44章、列王記第二23章、詩篇147篇、ダニエル書11章、使徒の働き17章、ヨハネの手紙第一5章、使徒の働き28章7-10節(Clay)を読む。

この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。”(使徒の働き17章24-25節)
これが神様である。

神様の存在を否定するようなことは決して起こらない。
でも、否定する。
非現実的。考古学は聖書を検証しようとして事実的裏づけを発掘した。
非科学的。科学は完全に調和された状態を認めている。

そんなことは初めから問題ではない。なぜなら、人はなにも知らない。そのことを自分自身が既に認めている。

なぜ否定するのか。
なにか都合が悪いのか。見つめてみればよい。

人は完全ではない。だから、完全なものを理解できない。理解できないものは受け入れられない。
しかし、これは話がこじれている。

自分を中心において見渡すから。

正しく見えないのだ。
自分の視野に入れることができるわけが無い。まさに”手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

想像できないのだ。
初めとはどういう状態か。終わりとはどういう状態か。どのようにして成り立つのか。
力のない者には達成する方法など解るわけがない。まさに”人の手によって仕えられる必要はありません。

自分を中心においてはいけない。神様を中心に見渡さないといけない。
そのためには神様の下に行かなければならない。

どうやって行くのか。それは人それぞれである。

しかし、次のように書かれている。
神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。”(使徒の働き17章27節)
だれでも神様にお会いできる。

スプロケット

チェーンの掃除がてらスプロケットを確認する。

front
071109_15180001 17丁

rear
071109_15180002 51丁

純正でした。

と、言うことは燃費悪い理由を探さねば。
やはりCDI交換か。

2007年11月 8日 (木)

救われる

創世記43章、列王記第二22章、詩篇146篇、ダニエル書10章、使徒の働き16章、ヨハネの手紙第一4章、使徒の働き28章1-6節(Clay)を読む。

そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。
”(使徒の働き16章30-31節)
聖書が語る最も重要なことである。

長く考えていたのだが、”救われる”とは何から救われるのか。
それは人それぞれ違う。あなたが救われたいものから救われる。

また、このみことばに私は望みをおいた。”あなたの家族も救われます”とある。
愛が死んでいる私ですら幸せになって欲しいと思う家族も救われる。

救われたいとは思わないだろうか。私はいつも思っていた。私はいつも救われたかった。
その救われたいと思うことは重要なことだろうか、つまらないことだろうか。それをどうやって正しく判断することができるだろうか。
確かに多くのことがあるが、重要なことは多くない。
どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。”(ルカの福音書10章42節)とある。
しかし、今、救われたいと思うことが、その唯一のことかどうか判るだろうか。

今は恵みの時、今は救いの日”(コリント人への手紙第二6章2節)なのだ。

今は

2007年11月 7日 (水)

なにも思い浮かばない

使徒の働き27章39-44節(Clay)を読む。

なにも思い浮かばない。

燃費20071107

071107_16580001 186.7km÷6.23L=30km/L
8,926.2km

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堺と泉州

今日は堺、泉州方面にに行った。

google earth →  「20071107.kmz」をダウンロード

目的はばあちゃんに聖書を届けるだった。
堺に入ったとたんに故郷めぐりをしたくなった。

XLR125Rだと路地にすいすい入れるのだ。

突発性心臓停止は直ったようである。走りの調子はgood。

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ばあちゃん

今日はばあちゃんに聖書を渡すために、泉佐野の介護ホームに行く。

偶然にも親父と娘(私の姪)を連れた妹が来ていた。

071107_13240001 青空ちゃん
なんかしっかりした顔つきになっとるがな。

071107_13340001 ばあちゃんが曾孫を泣かす
最近、人見知りが激しいらしい。

聖書は渡しただけ。字が小さくて読めんとな。今度はもっと大きな字のを渡そう。
聖書の話はできなかった。世間話も大事。

ばあちゃんが元気で何よりであった。

マック北花田

071107_11590001_2
マックラップえびサウザン+ダブルチーズバーガーのセット
トイレを借りに来て昼飯時と気づく。

2007年11月 6日 (火)

再入院

突発性心臓停止を治療するも、まだ不調がでるので再度入院する。

今回はイグニッションコイル(高電圧発生装置とケーブル:2,908円)、ノイズサプレッサーキャップ(プラグのキャップ:1,281円)、エンジンオイル(なんと奢って2,520円/L)を交換する。
工賃は2,830円。
サービスでカーボン取りと各種調整をしていただく。9,544円也

距離を走らないと症状が出ないので、またプチツーでも行くかヽ(^。^)ノ。

エンジンオイルは10,000kmで自分でする予定だったのでちょっとショック。

071106_19110002 8,739.4km
次回のオイル交換は12,000kmか。

しかしオイル交換の効果はすごい。
ギヤがスコスコ入る。ピストンがすべってるーって感じである。エンジン音が違う。

ヘッドパイプベアリングもヘタってきているとのことである(-_-;)。

071106_19050001 サービス工場にて記念撮影
エンジンもホイルもチェーンも外観はきれいである。だけど、この発作のように時々出るエンジンの動悸息切れ。どこまで続くのかメンテ攻撃。
お前の本当の走行距離は何kmなんだ。14歳らしいのか。
満足しているが、気になる。

帰りに燃料を満タンにする。2L 300円

苦しみを見ながら

創世記42章、列王記第二21章、詩篇145篇、ダニエル書9章、使徒の働き15章、ヨハネの手紙第一3章、使徒の働き27章27-38節(Clay)を読む。

彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。”(創世記42章21節)、こんな思いをしたことがないだろうか。私にはある。
心に重くのしかかってくる思い出である。
苦しみを見ながら”、これを人にはできるのだ。

対して、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵みに富、すべてのものにいつくしみ深く、すべてのものの上にあわれみがある。こんな人になりたくはないだろうか。
私はなりたい。
以前はばかにしていたが、今は心底なれるなら、このような人になりたい。

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。
主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。
”(詩篇145篇8-9節)と聖書に書いている。

我々は神様の似姿に創られたから、望郷の思いがあるのではないのだろうか。

人が偶然の産物なのであれば、上記のようなあり方の違いに対する思いや、基準は無いはずである。

エイリアンと言う映画でエイリアンを”完全生命体”(不正確と思われるが)と読んでいた。
それは良心に本能が阻害されることが無いことを称して命名されていた。
的を射ていると思う。
我々のあり方そのものが、神様の存在と、我々が設計に従って創られた被造物であることを証明している。

彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。”(ローマ人への手紙2章15節)と聖書は解き明かしている。

亀王ラーメン

071106_11570001 お昼の豚骨ラーメン石焼きチャーハン定食 880円

病院にいく。
家内がコーラスの練習とやらで外食する。

怪我の具合は、骨にひびが入っているのではなく、圧迫されて骨が潰れているそうである。
そういえば神鍋の病院でもそう言ってたような気がする。
包帯が取れるまで2週間、骨ができるまで1~2ヶ月との事である。orz

”今日はどうしたんですか”と聞かれて、”出先、旅行中に骨折しました”と答える。
”え・・・・”あきれておられるのが良くわかる。

2007年11月 5日 (月)

創世記41章、列王記第二20章、詩篇144篇、ダニエル書8章、使徒の働き14章、ヨハネの手紙第一2章、使徒の働き27章21-26節(Clay)を読む。

やみが消え去り、まことの光がすでに輝いている”(ヨハネの手紙第一2章8節)
闇にいる者は光を見ない。光の中ある者は闇を見ない。
闇と光は相容れない。

やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。”(ヨハネの手紙第一2章11節)
闇にいる者は闇から出れない。

闇が消え去る必要がある。
光があって闇は消え去る。

光に向かうことはできない。
光はある。

目をつむっていると闇である。

丸亀製麺

明石ではいつもここ。

071105_11320001_2 とろ玉うどん大+わさびいなり 600円

2007年11月 4日 (日)

窮地

使徒の働き27章13-20節(Clay)を読む。

読み流してしまうと伝えようとしていることが解らなくなってしまう。

私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。”(使徒の働き27章20節)
なんとなく読み流してしまう。

しかし、先日のツーリングでの転倒を思い出してしまった。
しゃがめないのでオートバイを起こせないのだ。しかも山の中で。まいった。
”神様、助けてください!”と祈る。
別に望みが絶たれたわけではないが、神様に助けを求める瞬間だった。

つまらない当てはめだが、ここで書かれていることの重大さに気付く。

ここでの登場人物たちはどれだけ追い詰められた状態になっていたのだろうか。
どんなことを考えるのだろう。

神様の存在を知っていれば、きっと助けを求めるだろう。
信仰があれば平安でいられることの重要性を良く表すことだろう。

みんな自分ではどうしようもできない窮地に陥る。
結果的に助かって、思い出になることは多いだろうが。

助けを求める対象があることは幸いである。
神様を知っていることは幸いである。

実は本当に解決しないといけない窮地にみんないる。
それは罪による永遠のさばきである。

助けはイエス様にしかない。
まさに望みは絶たれようとしている。
望みが絶たれる前に助けを求めないといけない。

2007年11月 3日 (土)

ZUMO550

私はガイドがないとどこにもいけない。
地図を読めないのだ。
しかし、行きたい所には行きたいし、途中の経路にもこだわりたい。
だから、Naviは必須アイテムである。

Dacachanの時もmioP350を使っていた。
あれはあれで重宝した。短い期間であったが、軽井沢、群馬、雪彦山、そしてあの兵庫県日本海沿岸ツーリングにも行った。
高速がだめだった。分岐が判らないのと、降り口が全部右折もしくは左折なのがつかえなかった。その辺がどう改善されているか楽しみである。

GARMIN ZUMO 550は値段が倍するだけあって、とにかく良くできている。究極のバイクナビだと考える。

もちろん、他のGARMIN製品と違って山の中はだめ。

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グリップヒーター

Dakachanに標準装備だったグリップヒーター。やめれません。
XLR125Rにも付けました。”フル装備ですなー”と笑われましたが。

071102_18430001外気温9℃には必須アイテムである。
なんといっても精神的にほっとする。ま・さ・に、ホットする。

梅雨時も雨で冷えきるのを防げて良いらしい。

昨日は上半身が薄着で寒かったが、手先が温まると耐えられる。

これHONDAが開発して特許(?)を持ってるらしい。
バッテリの蓄電量を計測して、スイッチのON/OFFをする。ACC接続だが、エンジンをかけないと温かくならない。バッテリ上がりの心配無用。
HONDAの物が3,000円ほど高いだけあって、優れていると聞く。

小型二輪を考える

近場のツーリングであれば小型二輪で充分である。
50-70km/hが使いやすいので快適この上ない。ストレス無く流れに乗れる。Dakachanの時はギヤが合わなくて飛ばしがちになってた気がする。

林道ではビギナである私の力量では有り余るパワーがある。
こかしたって車体が軽いので、まともにしゃがめない脚でも腕力で起こせるのだ。

できないことは、タンデム(タンデムは明らかに安定感が無さ過ぎる)。遅くなって高速で家に帰る。遠くへ行く(今は兵庫県内で行きたい所が沢山あるので高速はいらない)。登り坂で飛ばす(煽られない限りしない)。これぐらいである。

登り坂、トップギヤで減速、1速落としてもエンジンが回らないのが最大の不満。

任意保険がファミバイ特約なので、かなりの好条件なのがうれしい。

有料道路の通行料が車で100円のところ10円なのは笑ってしまう。

071102_09230001

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あざける者たち

創世記40章、列王記第二19章、詩篇143篇、ダニエル書7章、使徒の働き13章、ヨハネの手紙第一1章、使徒の働き27章9-12節(Clay)、箴言22章9-10節(Clay)を読む。

あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです。”(詩篇143篇2節)
切なる願いである。
なぜ、このように願うのか。それは永遠をどう過ごすかがかかっているからである。

あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。”(ヨハネの手紙第一1章2節)と聖書は語っている。
永遠のいのちはイエスキリストにある。

人は被造物である。そのあり方にそった永遠を生きなければ、不幸な永遠になってしまう。
罪の苦しみから解放されなければならない。
悪への思いから開放されなければならない。
本当の自由にならないければならない。
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。”(使徒の働き13章39節)とある。
信じる者はみな”とある。

預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。
『見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。それは、おまえたちに、どんなに説明しても、とうてい信じられないほどのことである。』
”(使徒の働き13章40-41節)
あざける者たち”になってはいけない。

真摯な態度でよく考えよう。

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。”(ヨハネの手紙第一1章9節)
神は真実で正しい方”これこそが我々の頼みの綱である。

信じる者はみな”とある。
”神様ごめんなさい。助けてください。”、この言葉が心にあれば良い。

2007年11月 2日 (金)

神鍋高原

今日はXLR125R(そろそろ名前を決めよう)にまたがり神鍋高原とハチ北高原に行った。

google earth → 「20041102.kmz」をダウンロード

プランと実際が全然違うんですが。。。orz
道を間違えたり、目的地を追加したりすると、ZUMOがリルートでまったく違う目的地になっちゃうか?普通ならんだろう。操作をミスったか。

今日は名誉の負傷をしてしまった。ダートにはまじめに取り組もう。
071102_20150001 071102_15470001

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燃費20071102その二

071102_20120002 177.4L÷5.78L=30.7L
コンスタントに30前後だな。
特に困りはしないが、感動の40overはないか。

燃費20071102その一

071102_13410001 171.4÷6L=28.6L
ツーリングonlyなのにのびんなー。

2007年11月 1日 (木)

平安

創世記39章、列王記第二18章、詩篇142篇、ダニエル書6章、使徒の働き12章、ペテロの手紙第二3章、使徒の働き27章1-8節(Clay)を読む。

今日読んだ中に4人の神さまを信頼する人が出てきた。

創世記39章はヨセフである。
彼は兄弟に売られエジプトに行く。
主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださる”(3節)とある。神様の祝福のおかげで彼は反映する。
主人の妻の悪巧みのせいで監獄行きになる。
しかし、彼はその監獄でも神様の祝福のおかげで反映する。また、任された仕事を何事も無かったようにこなしていく。

列王記第二18章はユダの王アハズの子ヒゼキヤである。
彼は神様の目にかなう王であった。やはり、神様の祝福のおかげで彼は反映する。
アッシリヤの王に攻め込まれ窮地に陥る。
しかし、王のとった態度は”民は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。”(36節)とある通り黙って神様の助けを待つである。

ダニエル書6章はダニエルである。
”ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。”(2節)とあるとおり、神様の祝福のおかげで彼は反映している。
バビロンの王以外に”いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれる”(7節)と禁令が制定される。
しかし、ダニエルはいつものように”日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。”(10節)とある通り生活態度を改めない。

使徒の働き12章はペテロである。
ペテロはイエス様の弟子であった。言葉にも技にも力があった。
使徒仲間のヤコブが殺害され、ペテロも捕らえられる。
しかし、”彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており”(6節)とある通り平然としている。

みな逆境にあって平然としている。

私は主に向かい、声をあげて叫びます。声をあげ、主にあわれみを請います。 私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表わします。 私の霊が私のうちで衰え果てたとき、あなたこそ、私の道を知っておられる方です。”(詩篇142編1-3節)
皆、目で見えるものに対して行動を起こすのではなく、霊によって、目に見えない神様に叫び訴えかけているのである。
そして、神様がそばにいてくださることを知り、平安を得るのである。全てご存知の全能なる方を信頼している。

主よ。あなたの御名のゆえに、私を生かし、あなたの義によって、私のたましいを苦しみから連れ出してください。”(詩篇142編11節)
この祈りが常に内にあるのだ。

何も恐れるものは無い。

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