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2006年12月

2006年12月27日 (水)

なぜ

なぜ、わたしなのか?
なぜ、バイク事故なのか?
なぜ、この痛みと苦悩なのか?

きっと私には解らない。
神様の英知は私たちの知恵と知識をはるかに超えるのだから。

ただ、私は神様の前に義を認められる。

2006年12月26日 (火)

みじめ

みじめである・・・・・・・・・・・・・。

2006年12月25日 (月)

生きる価値

”生きる価値は、人と話をすることだ。だから、たくさん人がいるんだ。”と小4の息子に言われる。
正しいかもしれない。。。。

”私はあわれみはこのむが、いけにはこのまない”の意味が解った。
”あわれみ”とは神様から人への意味だ。
恵と律法のことを言っているんだ。

2006年12月23日 (土)

人生の目的

自分で人生の目的を設定する者は虚しい思いをする。
神様のために自分で人生の目的を設定することを捨てるものは、生きることを見出す。

2006年12月22日 (金)

ヨブ

私は価値のある人生を送っていないし、価値のある人生を見出すことができない。
ただ、この状態で生きることを選ばれたのは神様である。
つまり、この状態であることの責任は私にはない。

ヨブは長寿をまっとうした。
その当時に伝道はない。
この世で幸せに生きる方法があるはずである。
神様がそれをヨブに選択されたのだから。

私もその生き方を見出せるかもしれない。

2006年12月18日 (月)

大部屋

大部屋に移動。

昨日の食事は最後のチャンスだったことになる。
神様のなさることは時にかなって美しい。

2006年12月17日 (日)

食事

家族5人で食事をする。

本当に久しぶりである。

2006年12月13日 (水)

転院

神戸の病院に転院する。

オデッセイのリアから引きずるように乗り降り。

バイクでこの道を楽しみたかった。

2006年12月10日 (日)

今日は父と母が来てくれた。

お母さん、ごめんなさい。

2006年12月 9日 (土)

なぜ

なぜ、神様は今、身体の自由とバイクを取られたのだろうか?

2006年12月 8日 (金)

旧友

三男と久しぶりに会う。

旧友と連絡が取れたと聞く。

2006年12月 7日 (木)

祈り

今の状態とこれからの生き方について、真理を知り、気持ちを整理できますように。

2006年12月 6日 (水)

座れた

座れた!
地面に足を付け、ベッドに腰掛けて座れた。

うれしい。

2006年12月 5日 (火)

解らない

解らない。
選択肢は見出せるのか?
心がかたくななのだろうか?
祈り求めていないのであろうか?
平素からの心構えは必要なのだろうか?

バイクに関する結論は神様にゆだねれば良い。

今は人を救うことの熱心さに欠けている。

2006年12月 4日 (月)

自由

御言葉と信仰によって得た自由。
これで良いのだ。

2006年12月 3日 (日)

のんびり

リハビリテーションに希望を見る。

メッセージテープ

のんびりする

2006年12月 2日 (土)

たいくつ

たいくつに感じ始めた。

2006年12月 1日 (金)

足の指を動かそう

”足の指を動かそう”・・・・昔見た映画の1シーンである。

左足の指が動きにくい。
今のままだと歩くのに支障をきたすそうだ。

どこの筋肉を使って動かしているのかを右足で確認して動かしてみる。少し動くようになる。うれしい。

膝の関節を動かすリハビリをする。
右膝がまったく動かない。

人間の自己再生能力はすごいとつくづく思う。

手術の日から家内が2泊3日で看病に来てくれていた。
家内の簡易ベッドがあった一角が、今は何もなくなってしまったのを見るとやはり寂しい。

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